だらだらと休日を過ごす。
近所のアパートの玄関先。
真昼間。
うら若き女子が汗だくで電子レンジをまっピンクに塗装していた。
一生懸命だった。
あるよねえ。
人生にはそんな時期が。
日常にオリジナルを主張したい。
カスタマイズしたい、というプチ野望が不意にたかぶっちゃう瞬間が。
「こんにちは」
「あっ。こんにちは」
それをテレビで、
自室でやらかして網戸にピンクの日の丸を作ってしまったコが、どこかで回想していたっけ。
元気だろか。
通勤用自転車を修理に出した。
もうずいぶん前からペダルの軸にガタが来ていて、気になっていたのだが。
ついに出した。
むろん自分で修理してみようかとも思った。
んが、
そのために道具を買いそろえるのもなんだろうと。
いっそ買い替えようとも考えたが、保証書をあらためると購入してまだ二年である。
付き合い始めて二年というと、恋人ならどれくらいだ。
せめてもうちょっと可愛がってやろうよと。
購入店に持ち込んでみると、さもありなんである。ベアリングがとんでもないことになっていた。
どうやら歪んでハマってしまっていたらしく、摩耗どころかミモーまでという惨状。
こき使うにもほどがあるというもので、
店員はまるで動物に接するがごとく痛ましげにそれを説明してくれた。して、技術費込みで五千円はかかってしまうと、申し訳なさそうに修理の続行の判断を仰いで来たのだが。
うん。
やってもらいやしょと。
なんならピンクに染めてもらいやしょと。
言わないが。
ゆだねたのだ。専門家に。
んで、
原付買おうかな。
その前に原付二種とれや。
と思ふ。
常々思ふ。
それがあるから自転車の修理を先延ばし先延ばしにしてしまったのだ。
ためらわせるのは、やはり運動不足になっちまわないかという己の怠け心への警戒と、駐輪場の問題だ。
わが侘びしきアパートには専用の駐輪スペースがない。
共用通路を、それぞれがそれぞれの公私を加減しつつ、譲り合いの占拠をしている次第。
つまりが「ここわたしの場所っ」的無言のアピールで。
明文化したルールになっているわけではないが、ひとり一台ぶんという塩梅である。
そこへ自分だけが、原付と自転車を一台ずつ置き腐ってよいものかと。
そこはやはり日本人なのである。
ここもあそこもあっちもこっちも我が領土、などというはしたない私欲は、羞恥心のもとになるたけ引っ込めるのだ。
ま、これにてちっぽけだがひとつ身近な問題が解決するわけで。
ならばと、もろもろ片付けを思いつく。
上京以来使い続けて来たコンポを、ゴミに出す。
思えば親からの上京祝いであった。
後に、ビデオ屋のてんちょさんをやっていた時に、そこの常連さんからいただいたでっかいスピーカーを繋いで使っていた。
住宅環境的に、とてもその性能を使い切ってやることは、ついにできなかったが。
まもなくCDプレイヤーが壊れ、
カセットプレイヤーが壊れ、
単なる目覚ましラジオとしてしか使えなくなって、もう何年になるのだか。
ピンクに染めちまおうか。
あえてまっピンクに染めてから廃品回収にだしたろか。
思わないが、ゴミに出す。
出すのである。
DEATH NOTE全巻をBOOKOFFに売る。
かつて流行ったものをさらっておきましょ、的な購入だったから未練もくそも無い。
二束三文。
買い取り価格を見ると、それに十倍の値をつけて売っていることがわかって苦笑い。
ぼろい商売だ。
いっそ表紙をピンクに塗って売れば、
と、しつこいぞ。自分。
松本人志の監督する映画最新作『R100』のPVを観る。
これ、あれだよね。着想の元はデヴィッド・フィンチャー監督の傑作『ゲーム』でしょ。
前々作の『しんぼる』は『CUBE』だったし。
むろん無意識だとは思うけれど。
あるいはそれを超える自信があるからこその、だろうけれど。
常にオリジナルであろうと、
カスタマイズ精神を保ち続けようとすることは、オリジン(源泉)を意識するということである。
どこまで深く広く根を張れるかということである。
更・新。
ピンクに塗りつぶせっ。
元があるからこそ、あらたまる。
新しいものとは、実は過去から来るのであーる。
☾☀闇生☆☽
追記。
笑ってはいけないシリーズのゲリラ的なとこと、その公然罰ゲームというあのあたりの匂いもアイデアの根底に感じますが、どうでしょう。
更に追記。
松尾スズキと松本がからんでくるというのは嬉しい限りだが、使い方としてどうだろう。
いやなに、
松尾がSMクラブのオーナーだか、支配人だかというのはあまりにありがちな配役ではなかろうか。
置きにいった観がある。
どうせ置くなら橋爪功とかね。
『タンポポ』でやったボーイの役の感じで。
そこはかとなく、こわいよお〜。