壁の言の葉

unlucky hero your key


 そうだ。
 ならばこれも書いておこうか。


 スーパーの駐車場での誘導にあったていたときのこと。
 そこは出入り口が一か所で、
 出庫入庫は交互通行でなければならない。
 公道と歩道の状況がまずく、
 しばらく入庫側の優先がつづいた。
 具体的に言えば、
 公道でならんで待っている車列のために渋滞がおこり、つかのま路線バスの運航までをさえぎってしまっていたのね。
 だから、
 出庫車に待ってもらい、入庫を優先していたの。
 それに納得がいかなかったのだろう。
 先に待っていた自分が何故あとにまわされるのかと、出庫側のドライバーが怒鳴ってきた。
「誘導がへたくそなんだよっ」
 とはいえ、
 そんな事情をながながと説明する時間などあろうはずはなく。
 説明したところで、いったん怒鳴ってしまった以上は引っ込みのつくはずもなかった。
 その時点で事態は、もはや理屈や道理の通用しないことになっている。
 ……。
 先輩がぼそりとあたしにもらしたよ。
 あいつには絶対この仕事できっこねえ。
 そりゃそうだ。
 状況の全体が見えていないのだから。
「俺が俺が」
 の奴は、この仕事ばかりか、ありとあらゆる状況判断に向いていない。


 ともかく、
 その場で深く同意した闇生なのだったが、
 それと同時に、それは言っちゃいけないのだなとも思ったのだ。
 

 ラーメン屋に行く。
 えらくまずく、
 しかも冷めていて。
 耐えきれずに店主にクレームする。
 すると、
「じゃあおまえ作ってみろよ」
 これ、
 プロとして言っちゃいけない言葉なのです。
「徹夜して作ったんだよ。仕入れから仕込みから全部ひとりでやってんだよ。大変なんだよ」
 知らないっす。
 のびてるっす。
 なんかカウンター不潔っす。


 お笑い芸人がネットで批判される。
 つい相手をしてしまって、
「じゃあおまえがやってみろよ」
 いかんでしょ。
 その時点で三流でしょ。
 自己否定でしょ。
 

 あのね、
 プロとは批評、批判にさらされるものなの。
 そういう仕事なの。
 たしかに批判する側にもマナーが求められるし、
 なにより能力がいるし、
 通すべきスジは通すべきだろう。
(その批判には批判者の審美眼や読解力や文章力、はたまた社交スキルまでがあらわになって、それもまた批判の対象になるのだが、そんなこんなはここでは置く。置きっぱなしにする。)
 けどそれはあくまで理想であって、
 所詮作り手にどうこうできるものではないのね。
 
  

 ともかくも技術をさらす以上は、さらされる。
 批判するな、は通じないし。
 相手が大衆である以上はどうしようもない。
 絵でも、 
 写真でも、
 音楽でも、
 そう。
 職業のことごとくがそういうものだ。
 で、
 プロでないのなら、
 たとえば町なかの絵画や手芸教室の発表会ならば、
 そんな辛辣な批判にさらされることもないのだ。
「おじょうずねえ」
「すてきねえ」
 で済んじまう。
 たとえ下手でも、
「個性的ねえ」
 と。


 ひと昔まえ、
 自身の写真集をコケにされたと裁判沙汰にした歌手がおりましたが。
 うん。
 なんだったんでしょーか、あれは。
 

 写真集で思い出しましたが、
 一時期、ヘアヌードなる言葉がはやって、
 芸能人がこぞって我も我もと写真集を出したことがあった。
 なんかスキンヘッドでヘアヌード、みたいな。
 とどのつまり毛があるんだか無いんだかわからんのを出した歌手がいて。
 その宣伝がてら、
 ダウンタウンの深夜番組に出演した。
 外国の風光明美な大自然のなかで撮影したその作品。
 彼女の言い分をまとめると、
 これはエロではなく、
 自然との一体感を、云々。
 つまりがそんな解釈を、求めた。
 んが、
 そんなもの求めたところでどーにもならない。
 みれば坊主でまっぱの女が、外にいるだけ。
 浜ちゃんいわく、
「これはカケへんわあ」
 以上。
 ザッツ・オールっ!
 そういうこと。


 昨今やたらに聞く、
 ネットの中傷で傷ついたとかなんとか。
 その手のなんたらかんたらは、
 たしかに当人たちにはつらいんだろうけれど、
 そんなこんなで、
 なんじゃらほい、である。
 いや、
 なんじゃらほい、にしろよと。
 批判に反論するのではなく、
 おまえの仕事で、作品で、語ってくれ。
 反論するなら、それさえも作品にしてみろい。
 プロでいてくれ。






 あたしたちゃ、
 つまるところ本物のプロが観たいのだ。
 たのむ。



 ☾☀闇生☆☽