どうもこんばんは。
 地デジ難民の闇生です。
 あたしゃ定期的に実家の安否を確かめるのが、習慣になっているのですが。
 そうすることで、逆に安否を確かめられているわけですが。
 今日になってもなおテレビを買い替えないことを知った親は、この親不孝を憐れんで、あろうことか電話口でこうのたまったのである。


「おまえ、テレビも買えないのか」


 電気、ガス、水道レベルのライフラインじゃあるまいし。
 ましてや、
 そうまでして観る価値のある番組なんざ、そうないでしょと。
 はたして、あわてふためくほどの事態なのかい。
 噛んでふくむように教えると、母は。


「そんなんじゃ、どんな顔のお相撲さんが優勝したか、わからないでしょうに」


 しみじみと嘆いたのであった。
 ほぼ独白といってよいテンションであった。
 すまん。母よ。
 流行りのお相撲さんの顔を知らなくたって、たぶん生きていけると思うのだ。少なくともあなたの息子はな。
 それくらいは頑張って生きているという自覚があるし。
 &
 ネットでもお相撲さんの顔くらいは確かめられると思うよ。


 ま、
 観たいのがあったら買うって。
 そのまえにまずラジオだな。

 
 さしあたっての面倒は、
 共通の話題がつくりにくいことくらいか。
 それだって、そもそもひとりぽっちなのだからして、あまり意味もなく。
 かえって知らないくらいのほうが、話しかけてもらうきっかけにはなるかもしれない。
 なるはずもないが。
 してそんな予感すらないのだが。
 ただ、思ったのだが。
 たとえばお笑い芸人なんかは、こういう闇生のような難民が増えると苦労するだろうなと。
 彼らは、
 テレビが押し広げて来た大衆の共通認識によって立つことで、
 共通言語を、
 してその笑いを、導き出してきたのだし。
 演劇などにはさまれる笑いもまた、とかくワイドショー的なものに、すがりがちであった。
 

 田村でも金っ。
 谷でも金っ。


 野田秀樹なんかがやる大衆批判というのもまた、
 ワイドショーに寄って立ってこそであったっけなあ。
 あーいうのが、理解できなくなってしまうのだろうか。あたしは。
 あるいはこれを機に、
 大衆の趣向の細分化が決定的となり、
 昨日のひょうきん族、観た? 的なつながりはもう消滅してしまうのだろうか。
 どうなんだ? 












 正直、
 どーでもいいが。











 どーか面白い番組を。ひとつ。
 というこの『面白い』を、
 単なるアハハオホホとしか解釈しないからこうなったのに違いない。
 

 
 



 て、
 どうなったのに違いないのか?












 眠くなったのにちがいない。
 












 おやすみなさい。








 ☾☀闇生☆☽


 ウェザーリポートのライヴ映像を漁って、夜をすごす。
 動く彼らを、初めて観た。
 Teen Townのあの主旋律をとるベースって、
 キーボードがユニゾンで補強してこそ、だったのだね。
 ザビヌル、八面六臂なり。