コーマック・マッカーシー原作、ジョン・ヒルコート監督作『ザ・ロード』DVDにて。

















 ネタバレでいく。


 かつて原作本の感想はここで書いた。
 ↓
 http://d.hatena.ne.jp/Yamio/20080728




 だもんで、
 どうしても比較してしまうのだが、
 だからといって小説に忠実なものを期待するという野暮天はしていないつもりであーる。
 それくらいのたしなみは、ある。
 はずなのだが。
 小説の要所をつまんでゆくという、可もなく不可もなく、といった忠実さがかえってもどかしい。
 映画化、というよりは映像化に近いだろう。

 
 まず音楽が、ダメ。
 断言する。
 その理由はこうだ。
 この映画が描くのは、世界の終末であり。
 核戦争だかなにかの影響で、すべてのライフラインが止まり。
 とめどもなく灰が降りつづけ、
 空は何年も雲に覆われているために植物は死滅し、
 ために食料も途絶え、
 流通も無く、
 警察も、軍隊も機能せず、
 つまりは国家が壊滅しており、
 法律も倫理も消し飛んでしまっている。
 神さえも。
 ゆえに、
 互いに盗み合い、犯し、殺し合って、果ては人肉を喰らうほどにまで人の道から逸れてしまっている。
 地獄といっていいだろう。
 壊滅後に生まれた少年は、コカ・コーラすら知らなかった。
 友だちすらも。
 もちろん、テレビ放送もラジオも無いし。
 いわずもがな電気が無いのだから、音楽も再生されない。
 互いを猜疑して隠れて生きているために、歌うことも、演奏することも無い。
 音楽のない世界なのだ。
 だからこそ中盤、廃墟の中にピアノを見つけた感動があるのだし。
 そして、
 壊滅前を回想すれば、そこに物と音楽とが溢れていることになる。
 音楽こそは物質的、精神的豊かさの象徴たりえる重要なものなのだ。
 であるからして、
 サウンドトラックは露骨な音楽として鳴っていたのでは、いけないのである。
 ピアノのくだりは、たしか原作には無かったと記憶するし、音のない小説には不得手で映画にはもってこいの逸話のはず。
 ならばこそ、ピアノが鳴るまで一切の音楽を堪えて、荒涼とさせるべきではなかったのか。
 荒廃を荒廃として描かなくては、主人公親子の運び続ける『火』が、活きない。
 安っぽいメロドラマになってしまう。


 そもそも、 
 この物語のカタルシスが映画的ではないのだ。
 正義とは何か。
 人の道とは。
 道徳とは。
 秩序とは。
 して、
 なぜ人はそれを求めるのか。
 求めなくてはならないのか。
 などという問い続け。
 己との対話。
 そういうノリでいかなくては。



 ☾☀闇生☆☽


 映画とは、現実の比喩である。
 ために観客の想像力に大きく拠る。
 だもんで人は老いるほどにフィクションから離れていってしまうのだ。
 いまならば、
 震災後であるからして、容易に想像できるはず。
 原作を読むべし。
 ※検索してみたら、ついに文庫化されたようです。