「あのお。この工事、いつまでかかるんでしょうか?」
その若者はのっけからこう切り出したのだった。
念のために言っておくが、
明るく丁寧で、
爽やかで、
すこぶる紳士的な態度ではあった。
それは団地の外装修復工事の現場だ。
足場組みをほぼ終えて、
メッシュシートでもって建物全体がラッピングされようという、その折のことである。
ちなみに言われているあたしは誰かといえば、現場に張りついているガードマンのひとりにすぎない。
あたしは側にいた鳶の親方にその質問を取り次いだ。
若者はつづける。
「この度、わたくし出馬することになりまして」
このままだと事務所に掲げる選挙ポスターがシートに隠れてしまうと。
んで、
なんでもそれは公職選挙法に触れる、とのことだった。
断わっておくが、現場はその日から始まったのではない。
工事に先駆けて、団地の敷地内には詰め所としてプレハブ小屋と仮設トイレが設置されてあるし。
なにより各部屋へはチラシの投函によって、工事の日程も予告されてある。そこには現場事務所の部屋番号や監督の連絡先までが報らされてあるのだ。
むろん、苦情の窓口としてガードマンを選ぶのは仕方が無い。
んが、
だからといって作業の門外漢である警備員からくわしい情報が聞きだせるはずはないし。実際問題として、具体的なことには一切答えず、責任者であるところの監督にそれをあるがままに繋ぐのが警備員としての使命であり。最善策でもある。
あいまいな知識や憶測があいだに入ると、コトは一層こじれるばかりなのは言うまでもないこと。
これは常識といっていい。
ともかく、
問題はふた言目に法律を出した点。ここだね。
確かに、主張は間違っていないの。
正論ともいえるのだろう。
しかし、この正論というものほど厄介なものはなく。抜き身の刀のようで、使いどころを誤ればよけいに相手の心を閉ざしてしまうのであーる。
抜き身の正論を振り回せば振り回すほど、人は遠のいていく。
ましてや、こっちはガードマンと鳶の親方だもの。
工事の責任者ではない。
いきなりコーショクセンキョホーなんて持ち出されても、ねえ。
思うに、
彼のとるべき正解は、まず責任者の所在。それを確かめるべきではなかったのだろうか。正論はまだまだ鞘の中でいい。
なんなら「お仕事ご苦労様」のひと言から近づいたらどーよと。政治家の卵なんだし。
いや、
責任者の所在は工事の予告のチラシに明記されてあることだし。
たとえそれを見逃していたとしてもだ、数日前から始まった現場の物々しさから想像ができたはず。
これも例の、まったくの想定外というやつだったのか。
にしても、
メッシュシートの段階に至ってもなお現場事務所の位置すら把握せず、そこにいたガードマンをつかまえて、てのは、もうあれだ。政治家としての情報収集能力と、状況判断能力として。
いやはや。
あたしゃ日々現場につくたびにつくづくと思うのだが、
いやこれはどの業界のどの業種でもそうなのだろうが、
物事というものは、
段取りに始まり、段取りに終る。
現場とは現実であるからして、それに尽きると。
政治もまた、現場だろう。
出馬への足場固めというやつもまた、人事を尽して天命を待つという、あれだ。
段取りだ。
はたして事務所環境もふくめたその日その日の段取りは充分だったのか、どうか。
身の回りへの段取りあってはじめて、想定外への想定がはじまるのではないのでしょうか。
だもんで日常の振る舞いに、
して、ちっぽけな交渉の場面や社交のそこかしこに、
政治手腕の多寡が知れようというもの。
震災直後から今に至る我が国の段取りのまずさを見るにつけ、なおさらそう思う闇生なのであった。
若者よ。
政治なんてものは 遠く高くにばかりあるもんじゃあない。
すぐ足元に素朴な格好をして転がっているものなんじゃあないのかい。
えへんえへんかしこ。
☾☀闇生☆☽