壁の言の葉

unlucky hero your key

 気づけば細野さんのアルバムが発売になってんのね。
 老境の、
 融通無碍の境地に至った我らがヨーダの新作だもの。
 ともかくも買っておかんことにはなあ。
 レディオヘッドの新作も出ているねえ。
 クオリティは折り紙つきなのだろうけれど、やっぱどんどんあっちに行っちゃってんだろうか。
 あっちって、どっちっつう話だが。
 内省的にまたひとつ越えちゃってんのかなと。
 いいんですが。
 てか、大好きですが。
 震災後はなにかとそれまで当然だと思っていた価値観が、ぶるぶる揺さぶられるわけでして。
 少なくとも今の気分じゃない。
 手もとのメモ帳を見ると、
 Marsha Ambrosius『Late Nights & Early Morning』なんて書いてある。
 ゆうせんで流れて、思わずチェックしたのだな。あたしってば。
 アナログシンセが鳴ると、ぴくぴくっと琴線が反応してしまう。
 ご丁寧に「マーシャ・アンブローシャス」と振り仮名までふってある。
 そんなら最初からカタカナでいけよ、
 と突っ込んでおく。


 などとつらつらと書いてきたが、
 こういう何気ない普段の興味の話がなにひとつ通じないヤツと仕事をする曜日なのであーる。
 通じないのはいいのだ。
 ああ、いいのだよ。
 世の中に完全に同じ趣向の人なんているわけがないと、あたしゃ踏まえているのだし。
 で、
 だからこそそれをキャッチボールすることに意味があると。
 反論も批判も含めて、それが会話というものであり、対話というものだ。
 傷のなめ合いのような追想と『確認』のやりとりだけでは、何も生まれないと思う。
 

 たとえば。
 自分の観た映画や、音楽や、テレビ番組や、小説や。
 その話をだらだらとするのはいいのだが、
 して雑談なんてそんなものなのだろうが、
 映画なら映画の流れをただなぞっているだけのがいて。
 しょーみの話、どうしたいのか、まったくわからない。
 きっと他人を相手に話すことで、頭の中で物語を整理しているのには違いないのだが、
 そこに解釈ひとつ、感想ひとつ挟まれないのだ。
 誰がどうしてどうなって、んでこうなったんですよお。あはは。
 の連続で、ラストまで一方的に話す。
 さながら独りごとだ。
 こちらの『返し』やら『質問』『疑問』も適当にやり過ごして、
 なんなら無視して、ひたすら演説している。
 つらいわあ。
 まったくもって無駄な時間だわあ。
 んで、
 この手の人たちってフィクションと現実をつなげないのね。
 たしかに『混同』するのは痛いが、
 少なくとも、現実の写し絵としての影響力は侮れないはずではないのか。
 だから『たかが』映画の話が、社会問題の比喩として会話の中で熟成されたりするし、
 現実を客体化するその手段にもなり、
 名画の名台詞や有名なシーンを引用することで主体と客体、主観と客観、俯瞰と仰視なんかを行ったり来たり、迷ってはぐれて喧嘩して、笑って怒って陳謝して、挙句の果て、という名の地の果てにおもわぬ新天地を見出したり。しなかったり。それらが会話の愉しみではないのか。
 あ。
 大袈裟だった?
 やっちまった?


 こちらの話は聞かないし。
 つらいなあ。


 とここまで書いて、
 それはつまりこのブログのような、と思ってしまった。
 けどさ、
 ブログなら、気に食わなければ別のことへ飛べばいいだけでしょ。
 職場というある種の拘束のもとに、二人きり。ナマで目の前にいるんだからね。




 ☾☀闇生☆☽


 追伸。
 先日の『アウトレイジ』の感想で光ってるなあ、と。
 んで、
 おそらくはこれを期に、今後出て来る俳優さんだろうと。
 思っていた矢先にこれだ。
 食えないからひったくりって、おいおい。
  ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110422-00000034-jnn-soci


 あのね、
 ケービのバイトにはね、役者さん多いのよ。
 この人と同じくらいのおっさんたちが、
 日焼け止めを厚塗りして路傍に立ち、
 そういうので地道に食いつなぎながら、
 でも芝居が好きだからってんで、やってる。
 アウトレイジだなんてのに出ていること自体、恵まれてんじゃんか。
 もったいないっつの。
 よりによってひったくりって。
 もうダイレクトな、まんま加害じゃねーか。
 まったく。
 なんだろ、このむかむかは。