ここへきて、どうやら風邪をひいてしまったらしい。
 いや確実にひいたよ、これは。
 大した理由らしき理由もないままに夏以降ずっと週休ゼロでやってきたのは手前の勝手であるからして、なるほど勝手には違いない。
 んが、
 こちらが働く気まんまんでいるのに仕事が入らない日がぽっかりと、それもアポナシで訪れるだなんてのは、うん、まことにもって想定外でござった。
 不意討ちだ。
 くそお。
 ちなみに、いまどき「働く気まんまん」てのもない。
 なんだよ、まんまんて。
 まずそこからしてまるで仕事が出来そうにないではないか。


 話をもどす。
 もどす気まんまんだ。
 いくら年末であるとはいえ、昨年の経験では大晦日まで工務に付き添ったわけだし。
 さらにはあたしゃ上京したてのころに、正月休みの間の築地市場の留守番警備という、まことにもって孤独の極みを経験してもいた。
 なので、そんなものだろうと高を括っていたのだが、先輩諸氏に問うてみると、やはり大方の警備員が否応もなく休まされると。
 むろんあれだ、
 あたくしの本業のエロ屋は、職種的にみて盆暮れ正月ゴールデンウイークが稼ぎ時であるからして、穴のあくはずもない。
 まいどのこったね。
 だもんで食うにこまるということはないのだが。
 ともかく、
 不意に訪れた休日ほど、自己管理を危うくするものはなく。
 ましてやこちとら独りもんだもの。
 あした、休みだあい。
 わーい。
 というそのオンビートからオフビートへの転換のハザマに、まんまと足元をすくわれてしまったという。
 すまん。
 なんだかんだ言い回しを工夫した所で、有体は、ひとり部屋で酔い潰れたのだな。
 おっさん、性懲りもない。
 暖房もつけずに、床につっぷして眠りこけておった。
 

 へっくしょい。
 ぶううう。

 
 ここ数日の勤務は年末商戦の某スーパーの駐車場についていた。
 ケービの種類数あれど、闇生のもっとも苦手とするところなのであーる。
 ああいやだ。いやだ。
 あればっかは、ほんとにいやなもんだよ。
 歩行者と自転車の途切れもない流れを読んでだな、
 入庫と出庫のお車にお待ちいただくようにお願いしながら、
 くわえて車道の流れのスキをうかがいつつの、
 信号のタイミングをにらみににらんで、
 路線バスの運行を敬い、優先しつつ、
「俺が先だろ」
 のプレッシャーと、
 早くしろよ的なクラクションと、
 師走特有の正体不明な焦りやら、
 苛立ちやら。
 八つ当たりやら。
 それらにサンドイッチにされながらいざ車を動かそうとすると、あれだ。なぜかしら走り出す歩行者たち。
 あれ、なんなんでしょうか。
 待つ時間といってもたかだか一台とか、あるいは二台が歩道を横切るだけである。
 正味何秒よ。
 それっぽっちすら待てずに猛然と走り出すのだ。
 たとえばカートにすがって歩むようなお年寄りがね。
 それにつられて「我も我も」と周囲が急ぎ出す。
 あぶないっつの。
 あたしゃあれか。ベルリンの壁か、と。
 永久の別れかと。
 で、
 無事に走り抜けるとひと息ついてまたそろりそろりと、能役者のごとくに歩き出す。
 さっきまで自転車を押して歩いていた人なんかは、あわてて自転車にまたがって漕ぎ出そうとするもんね。
 ひょっとすると自覚できてないのかもしれないけれど、あれでは余計に遅いですから。
 ペダルに足を掛けるためにいったん立ち止まるでしょ。
 それに、自転車の初速って歩行よりも遅いものさ。
 そのせいで車はまた待つ羽目となり、苛立ちはつのり。
 つのった苛立ちはケービ員にぶつけられ。


 ベテランを含むほとんどのケービ員がそういう大勢の「オラだけは」の連打に精神を蝕まれている。
 いや、
 それは大げさか。
 にしても、この仕事で愚痴らない人はいないよ。
 同僚には当たり屋のエジキにされそうになったのまでいるしね。

 
 ボンネットで歩行者の流れを割いていこうとするのも少なくない。
 そうすれば、歩行者は止まると。
 勝手に避けると。
 わしはモーゼであると。
 あるいは連なって入庫するその車列の間をすり抜けようとするスパッツ姿のかっちょいい自転車野郎とか。
 くりかえす、
 かっちょいい自転車野郎とか。
 あわてて止めたらおもいっきり舌打ちされたっけ。
 止めた車列のまえに唐突に立ちふさがって、メールやら立ち話を始める主婦とかさ。
 意表をつかれるのが、車道を逆走してくる自転車ね。
 これがまた、案外と多いのだ。
 原則として車道を走らなければならない自転車は、現在は軽車両あつかいですから。どうか道交法のなかでやっておくれと。
 駐車場の中は中で、また酷い。
 出入りが激しいさなかに子供を好き放題に走り回らせている若夫婦とかね。
 いましたよ。こないだも。
 しかしまあ、危険地帯で手ぇつながないよね。今の親子って。
 ホントに言い出したらきりがない。
 んで、あたしらは安全のためにいるのに、なぜかしら自由を制限する敵とみなされるのね。これが何よりも哀しいし、虚しいのだわ。
 普段あたしらをうざがっている人たちも、立場をかえて現場をみたらわかると思う。
 で、きっと同じように愚痴るんだ。
 知ってんだ。
 だって新人のケービ員たちの戸惑いって、なによりそれだもの。
 

 ま、いいや。
 こういう道徳っぽいことをのたまうブログほど鼻ツマミなものはないのだし。
 なんにせよ、
 それらのストレスからしばらくは解放されるうううう、という安堵感もまたこの度の深酒に繋がったというわけなのさ。
 といういいわけなのさ。


 そうだ。
 どうせだから、これも書いておこう。
 かつてレンタルビデオ屋の雇われ店長だったころ、があった。
 当然のことながら、あたしゃアルバイト君たちを複数使っていた。
 で、
 若い人たちが抱く『週休二日』という概念のしぶとさを思い知らされたのだった。
 金がない、金がないとぴーぴーいいながらフリーターが頑として勤務日を増やそうとはしない。
 さながら掟か、タブーかなにかのようにとらえているかのようで。
 たまたまシフトの関係で週に六日働くと、その一日を必ず翌週に取り返そうとして休む。
 それと土日祝祭日、盆暮れ正月の仕事を、ことさらに恨む。
 憎悪する。
 これがまた根深いんだな。
 たとえばいまのエロ屋の社長も、
 まえのレンタルの社長も、てめえの職業どがえししてその概念を堅守しているくらい。自分だけね。
 仮に、
 日曜日を定休にしている床屋の夫婦だとか。
 クリスマスに閉店するケーキ屋だとか。
 元日に休む神主だとか。
 夕方五時にシャッターをおろすラーメン屋でもいいけど、そんなのありますかというハナシではないのか。
 もう学生じゃないんだっつの。
 




 と、


 数日あたまのなかでこねまわしていたら、ふと疑問が湧いたのだ。
 こんなあたしも、
 そんなあなたも、
 あんな彼らも、
 宗教にまったく関係なく、週に一度休日を頂いていたりするわけで。
 いわずもがな旧約のなかの神話的エピソードとして、その根拠があったりする。
 宗教のない世界をイマジン♪しつつも、週に一度は休んじゃったりすんだ。
 ありがたし。
 なんせタダでだもんで。
 ありがたし。
 タダほど深くはびこるものはない。
 スーパーの駐車場が休日のセールでごったがえすのも、週休制のおかげだし。
 でも、
 そんな概念が輸入される以前、
 たとえば室町や江戸時代の庶民はどんな風に働き、して休んでいたのか。
 調べたわけでもないのだが、
 あまり知られてもいないのも事実であり。
 落語のなかの魚屋にしろ、くず屋にしろ、そば屋にしろ、どういう間隔で休みをとっていたのだろうか。
 太陽暦ではないだろうから、太陰暦をもとにして何かあったのだろうか。
 なかったのだろうか。
 売上や収穫がなければ、休みもなかっただろうしなあ。





 いずれにせよ、週休。
 この国ではそれほど長くない慣習には違いない。
 




 という慰め方をしつつだな、
 とりあえず闇生は来年も無休で始める所存なのであーる。
 このバイト、
 上には上がいて、
 夜勤、日勤のレンチャンにつぐレンチャンであんたいつ帰ってるの? てな猛者もいる。
 むろん会社に強いられての事ではなく、自ら切望してあの手この手を使ってそうしてもらっている。
 目的があるからだ。
 そこへいくとこの闇生の勤勉は、これといって目的あってのことではない。
 意味もないな。たぶん。
 立ち止まればたちどころに襲ってくる死にたくなる感情を、そうやって振り切るだけだと。
 なんなら風食らって駆けるわが目先鼻先を、仮に前であると見立てておこうか。
 で前向きに、逃げるのだと。



 今年、
 もしも一度でもページのケツまで読んでくれた人がいたとしたなら、ありがとうだ。
 ざまみろ。
 きっと届きっこないがそこにひとつ、ありがとう。
 と、
 愛しておく。
 来年も会えますように。




 ☾☀闇生☆☽