そのうたが、
つまりは歌自身が、
本来どう歌われたがっているのかを問い、
貪欲に探り、
吐き出させて、
つかむ。
いや、それを己が肌のように着てしまうのだろう。
生みの親も同然である作曲者の手から、
こともあろうに解放してやろうとする。
(箱入り娘をプロデュースするように。)
だからこの人の歌うカヴァーは、
極めて個性的と捉えられがちだが、
その実、微塵もテライがない。
歌唱力を自負する歌い手によるカヴァーなんてものは、
たいがいが個性の押しつけというエゴと、そのテライに押しつぶされてしまうものである。
感情を込めて歌い込んで失敗したり。
いや、
込めるほどに、生煮えのエゴが臭いだしてしくじってしまうのだ。
言いかえれば、
技術にたのんで、
その技術に感情がのまれてしまうと。
彼女の歌うカヴァーが圧倒的なのは、
音楽をする原動力に、歌への献身があるためだと思う。
作り手の手から解放されて独立した歌は、
やがてスタンダードとなって永久の命を勝ち取る可能性をもつ。
その儚くも果敢な取り組みを、かなりの打率で結実させるのだから、恐ろしいオンナではないか。
矢野顕子。
よく他人の歌を自分のものにしてしまう、と言われるが、違うな。
自分のものになっちゃうんだ。
あまりにカヴァー能力のお粗末な人たちばかりだもんで。
もんでもんで。
例のトリオ編成での『ばらの花』に、
Youtubeで再会し、
またしてもやられちまった闇生なのであった。
名演で、
絶唱だ。
こんな味だったっけな。
☾☀闇生☆☽
立て続けに『すばらしい日々』で、のされちまえ。