そのステキな人は、
かつてあたしにこう教えてくれたのですな。
作家、中島らもというお人は、
『障害者』という言葉の前に、いつも『いわゆる』をつけていた、と。
否、
あるいは『健常者』という言葉の前につけていたのか。
どうか。
ともかくもそうと知って、案の定知ったかぶってしまったのがこの不肖闇生なのであーる。
軽率にも、一席ぶってしまったと記憶している。
ようするに、鼻の下をのばしついでに聞いた風な口をきいたと。
どの口がといえば、この減らず口がきいたのだと。
いわば痛恨の極み。
なぜといえば、
いわゆる健常者とはいうものの、
いわゆる五体満足がはたして本質的に、
いわゆる『健常』であるのか否か。
いわゆる仮に、
いわゆる健康優良児が、
いわゆる親殺しをした。
としても、
いわゆる不思議はない。
てか、
であるからこそ、そうなってしまうという、いわゆる悲劇。
ばかりか、これこそが本質的な障害ではないかと。
障害者じゃねーかと。
あたしゃ、のたまっちまったのだな。
しかし察するにだ、
この『いわゆる』とは両刃の刃でござって、
障害、という負のレッテルに甘えなさんなというニュアンスも、実はある。
うんにゃ、ある。
そう気づくと同時に、
本来が曖昧模糊とした『いわゆる』に込められた、まざまざとした決意を垣間見て、
あれだ、
なんだ、
とどのつまりが痛恨の鼻の下でござったと。
そういうことなのだ。
なんとうすっぺらいことか。俺ってば。
そんなこんなで、
とはどんなこんななのかは知らないが、
ともかくももっとも警戒しなくてはならないのが、これであるとわかった。
ならば頑としてフツーに接しようじゃないか、という気負い。
「カメラを背にして普通に歩けたら名優」
かの黒澤明がのたまったほど、かくもフツーとは超絶技巧なのであーる。
人は、自然体を目指すほどになにかと力が入ってしまい、不自然なことになってしまうもので。
ポケットに手を突っ込んだり、
髪の毛を掻きあげたり、
きょろきょろしたり、
姿勢が良すぎたり、
あるいは崩し過ぎたり、
妙にゆっくりだったり。
かく云うあたしも、それをやっちまった口だ。
前職でのことだが、
車椅子のお客様が、段差を経て店舗から路上におりるのをお手伝いした。
さりげなく、
すみやかに、
さもフツーであるかのように、
慣れてますよー、と全力で心掛けるあまり、
不覚にもウィリー状態にしてしまったのである。
すんません。
よって肝心カナメは、
このようになんじゃかんじゃと考えすぎないことであると。
恋愛のHOW TOもんを何冊読んだところで、あたまでっかち、まえもっこりになるようなものなのであーる。
あとは人間の最大最高の武器である想像力を働かせて接すればいいはずなのだが、いかんせん想像は妄想やら独りよがりにも陥りがちで。
あれでしょ。
加減が難しいでございましょ。
想像は、経験によってその都度修正されるべきだろう。
接してみなけりゃ何もはじまらん。
それに尽きる。
というわけで、
できるだけ接してください。
経験数を増やしてください。
以上。
おしまい。
で済めば、なにもあたしの鼻の下は散華しなくて済んだのだ。
おい。
なんじゃかんじゃ言っても、そういう機会の無い人にとっては、やっぱり関係が薄いわけで。
経験しようにも術がない。
ならばせめて「明日は我が身かも」という接点くらいは頭の隅に置いておきたい。
てか、置こうよ。
それには、
さくら〜ふぶ〜きの〜、サライ〜♪
的なものばかり見ていても、アレなわけでえ。
アレとはつまり、極めて一面的なのでえ。
こういうのを薦めたりするのですよ。あたしなんかは。
車椅子ラグビーに情熱を費やす男たちを追ったドキュメンタリー映画。
『マーダーボール』
一目して了然だがほぼ格闘技と言っていい。
競技用の車椅子はそのまま凶器ともなるし、同時に身を守る鎧にもなる。
有体に言って、戦車だ。
激突。
転倒。
飛び交う罵倒。
轟然と吹きあがる檄。
ここには「みんな頑張った」式の、
つまりがサライ式の平等は微塵もない。
勝者と敗者。
優越と劣等。
そして復讐。
して生き甲斐とは、そのせめぎ合いにこそあると。
驚いたのは、選手それぞれが半身不随になる経緯をつまびらかにしているだけではない。
加害者と被害者という関係にありながら、双方が顔を出していること。
それと、
誰もが気になるのが彼らの性生活。
なんとフィルムはそちらの問題にまで踏み込んでいるのだ。
ナンパやら、体位の工夫やら。
ほらほら、
サライ〜♪では、見えない部分でしょ。
徹底して、安直なお涙ちょうだいを迂回しようというのは、そこはさすがアメリカか。
そんなわけでこのドキュメント、
ある日を境に健常者から障害者への生まれ変わりを有無も無く強いられた人たちの、そこにおこる了解への葛藤や、リハビリの苦悩については、それほど深く突っ込まない。
自身の肉体の実際を受け入れる。
という、ある種の和解。
それについては、
井上雄彦の漫画『リアル』をお勧めしとこう。
こちらは車椅子バスケだ。
言わずもがな、悪い奴もいい奴も、すけべったらしいヤツも、嘘つきも、という具合に障害者にだっていろいろいるだろう。
けど、
生きるということ。
日常を生活するということへの自覚については、健常者より数段上なんじゃないだろか。
そうせざるをえないのだろうけれど。
読みなさい。
↑
フツーに「カッケー」と思って観る、
そのくらいがよろしいかと。
☾☀闇生☆☽
追伸。
欲を言えば、
ゲームの進行について、
『江夏の21球』ばりの解説があったらと。
せめて決勝戦の攻防だけでも。