良質である。
ただし小品である。
以下、ネタバレ込みで。
舞台は1987年のルーマニア。
となればそこはチャウシェスク独裁政権下であり、
全世界的にもケータイがまったく定着していない時代。
実は不肖闇生、
この映画を観るにあたって、前情報にはほとんど触れていない。
予告編のみである。
なので、
冒頭から奔走する主人公(女)が、いったい何を目的としているのか。
その言動から物語の方向性をうかがい知れるようになるまで、正直なはなし、だれた。
すまぬ。
はしたなくも、つかれてもーた。
なにがしたいのだ、あなたがたは、と。
何が起こっているのだ、ここでよお、と。
もったいぶった予告編の割には、
その事件性たるや、やけに俗っぽく。
身近で。
とどのつまりが普遍的であることをまもなく知ることになるのだが。
有体にずばり言ってしまおうか。
やめようか。
やっぱ言っちまおう。
「友人の堕胎」
なおかつこの時代のこの国では、違法と。
そのためにひと肌もふた肌も、
恥もプライドも脱ぐはめになる女の空回りが描かれているのであーる。
なんせ堕胎する当人に、まったくもって主体性がないのだ。
そんな友人のためにあれこれと気をもんで動きまわるものだから、主人公は馬鹿をみるばかり。
動くやつが馬鹿をみる。
いや、
馬鹿を見せちゃいかん。
いかんよっ。
と、ついこちらも力が入ってしまうのであるが。
そんな滅私の優しさを利用して、
巻きぞいにして、
ある種のゴネ徳人生というものはぬくぬくと肥るわけであり。
食べ散らかして、
味をしめるわけでもあり。
はじめは独裁政権への批判メッセージに落ち着くかと思っていた映画だが、終えてみれば何のことはない、いつの時代、どんな政権下にでもおこりえる、暗愚発〜不幸行きの連鎖が、ブラックに描かれているのであった。
愚か。
ゆえに人なのだ、
きっと。
恋人宅にまねかれてのパーティー。
食卓を囲む一堂を、定点カメラによる長回しでやっつけたシーン。
銘銘が料理を皿にとり、
食べ、
酒を注ぎ、
飲んだりしながら実に流れよく会話を回していく。
カメラといえば、心ここにあらずの主人公を正面に据えているのだが、実によくその周囲が……。
細かく言えばセリフを受けるときの演技が、
それら食事のやりとりにきちんと溶け込んでいるのだから驚いた。
そこに気をつけてみれば、
複数のピエロが、たくさんのボールや輪を回していく複雑なジャグリングを見る思いをするはず。
ちなみに類似系として、
傑作『秘密と嘘』にも、そんな食卓のシーンがある。
それぞれが抱えている胸の内は、観客だけが知り。
それを口には出さず、和やかにふるまう面々。
いい貌してんだ、どの俳優も。
☾☀闇生☆☽
「これで自由は死んだわ。万来の拍手の中でね」
by パドメ。
今日、
なにげにスターウォーズのエピソード3を観直していた。
独裁は民主主義が、
つまり民衆の熱狂的な喝采が生むのだというのを、ちゃんと描いていたのね。
してその民意には偏った情報と、情に左右される気分が、大きく作用すると。
ならば支持率なんていうのの正体もまた、そうで。
あ。
『情報』とは『情』を『報』せると書くのか。
なーる。