北野武監督・脚本作『TAKESHI’S』、『アキレスと亀』DVDにて。


 まず前者を観終えて。
 ここまで混乱するか、と。
 自己模倣を避け続けて、しかも型がないと。
 要はフェリーニをやりたいのだろうが、いかんせんセットが見苦しい。
 幻想か現実かの境界線も、複雑に入り組ませるまではいいが、それについていかせるだけの魅力がまずない。

 
 そして、二作を観終えて。
 数学的な見地に立った映画の合理化を、特に編集の効果に取り入れようとするその姿勢については、おもしろいと思う。
 けれど、それが合理化あっての映画であると捉え始めると、本末転倒。


 どこか映画を見下している印象が、ある。


 記号化を極めるほどに、映画の神様というものはそっぽを向くもので。
 近年の彼のフィルムからは、そのそっぽを向こうとする映画を、力ずくで振り向かせようという哀しいあがきが見て取れる。
 んが、
 それも安易な自己模倣から逃れようとする、彼なりの闘争なのだろう。


 本来、
 この人の映画の魅力は『引き』芸であったはず。
 無表情にして淡々と殺し、
 殺され、
 怒り、
 惹かれ合い…。 
 説明的なシーンを大胆に省いたその行間に、えも言われぬタケシその人が、ひいては映画が、匂っていた。
 しかしそれを続けるのは常に不安と闘うことでもあり。
 ようするに彼の芸人としてのサービス精神が、引き芸のSに水をさすと。


「お客に伝わっていないんじゃないだろか」


 特に感動を狙った演出で、ついつい『押し』をやらかしてしまう。
 しかも、それを記号的にやっつけようとするからこの上も無く、さぶいわけで。
 その押しに出くわすたんびに、あたしなんかはつい舌打ちをしてしまうのであーる。
 『Dolls』のやくざの恋の逸話にしろ、
 そのヒロインの劇中VTRにしろ、
 『キッズ・リターン』のホームレスのカットにしろ、
 『HANA―bi』の枯れた花に水のシーンの、つまみ枝豆にしろ。
 『Brother』の切腹にしろ。
 古くは『あの夏、一番〜』のバスのくだり。とりわけそのシーンの音楽っ。
 誰も武映画に極上のエンタメなんぞ、はなから期待していないのだから。突き放してよと。


 切に。切に。


 新作『アウトレイジ』の、
 あの押しまくりのCMを観て、あらためてそう思う闇生なのであった。





 ☾☀闇生☆☽


 やはり『3−4x10月』と『ソナチネ』の興行的不発を、よほど引きずっているのだ。
 あの二つがなければ、のちの武の評価なんか無いに等しいのに。
 いったい何度観たことか。初期作品。
 黒澤だって言ってたじゃんか。ビートくんの映画は余計な説明がないところがいいと。
 そして、ひとつの到達点として『HANA―bi』がある。




 追伸。
 記号化そのものが、引き芸のはず。