ざまは、ない。
 ケービする者にとって歩行者と自転車が一番やっかいだ、などとのたまったその舌の根も乾かぬうちに、これだもの。
 自転車での出勤途中に、コケちまったのだ。
 歩道にぶっ倒れた、なんかやたら荷物のでかいこの元若者を心配して、


「大丈夫ですか?」


 声をかけてくれた現役若者よ。かたじけない。
 して、ありがとう。
 その瞬間、耳にはジェフ・ベックを詰めていたのだけれど、その優しさはちゃんと聴き届けたぜ。
 しかし不思議なもので、ああいうときって何より羞恥心が先行するらしく、


「すいません」


 照れ笑いしながら、なにを慌てる必要があるのかそのまますぐに立ちあがって自転車をこぎ出した。
 痛みは膝と、
 右手の中指。
 走行しながら痛むあたりを見て、制服のスラックスが破けていないことを確認する。
 ほ。
 指は、甲の皮が剥けて血がしたたって。
 上半身の左側が歩道の砂にまみれている。
 頭の芯に痛みがあるが、直接ぶつけたそれではなく、路面にバウンドしそうになるのを首でこらえたためによるものらしい。
 ともかくも現場で任務にあたったが、やはり気が張っていたのだろう。
 本格的に痛みだしたのは、今朝になってからだった。
 歩行には問題なかったはずなのに、いまや困難に。
 膝に若干腫れがあるので氷を当てておいたのだが…。


 そんなこんなこの日の現場。
 ケービは二人態勢であった。
 常勤のベテランさんと、その現場初めてのあたくしだ。
 でこの先輩なのだが。
 新人のころ他の現場で二度ばかりご一緒したことがある。
 立哨中であっても常に柔和な笑みを絶やさず。
 それはたとえ交差点がらみの複雑な交通誘導でも、その柔らかさを保ったまま一人でこなすし、なおかつ新人を教育するほどで。
 なにより声がジェントルマンでね。
 荒げず、やわらかいままに、しっかり通ると。
 さしずめ橋爪功かと。
 いや、
 小日向文世なのよと。
 ならばとっつき安かろうと思うのだが、頑として他人にかかわらないのだ。
 このたびはそれを確信しましたよ。
 休憩中だろうが周囲に距離を置いて、かかわることを努めて回避しているようにすら感じられるのね。
 そこへきて今回は二人きりだもんで、
 勤務中との落差にやられて、なんかやっちまったかな、俺。
 などと終日悩んだのだが…。


 大概がどこの現場でもそこの常勤さんが、他の隊員にその日の作業のあらましを説明する。
 それぞれがバラバラに監督さんに問いかけるのは説明する方に失礼だし、合理的でないからだ。
 代表者が訊いて、それを下々に。
 それが常道だと思って指示を待っていたのだが。
 この日のっけから、がつん、と叱られた。
 訊いてないんですか、と。
 柔和な文世にである。
 まったく、いくらベテランといえども、人によって言うことが正反対だったりするので、わずらわしい。
 それでも文世は、けろっとしてその後の作業をこなすのであーる。
 しなやかに、
 的確にね。
 で、わかったのだ。
 ああそうかと。
 この人はそもそも誰とも関わりをもちたくないのだなと。
 けど、つっけんどんでやっていたら、方々で衝突してしまう。
 だもんで、この笑顔と柔和なふるまいを、いわば鉄壁の防御として身につけたのに違いない。
 こちらはつい彼の柔和さをプレーンと考えてしまうから、ちょっとした素っ気なさに不可解な想いをさせられるわけだが。
 実は反対で、周囲に背を向けているのが本来の性分であって、柔和は日々の努力のたまものなのだな。
 朝、出会いがしらに挨拶したときも、おざなりだったしね。
 てか、無視に限りなく近い。
 待機中も、こちらの死角へ死角へと逃げて、ひとりを嗜んでおられた。
 他の古参の接触を観察しても、やはり早々に切り上げたがるようだし。
 あ。女子に対しては別だけど。
 そこはもう、露骨なまでにそうなのだけれど。
 会話を咀嚼して、しばし思い出し笑いに浸っているくらいなのだけれど。
 あの文世がね。
 とすれば、その処世の振る舞いはすげえよ。
 見事に己を飼いならしているではないのさ。
 初めてその仕事ぶりを目にしたときは尊敬したが、そんなこんなで闇生は二重に驚いたわけ。
 おっさんの素敵とは、そんなとこに光るのだなと。
 あたしなんざ、すぐ顔に出しちまうからなあ…。


 でもさ、
 だもんだから、今朝の転倒と膝の痛みはついに言いだせずじまいさ。
 ここで愚痴る羽目に。
 とほほ。












 &およよ。



 聞いてくれてありがとう。
 念のため、今から病院にいくよ。
 しばらくは和式トイレでのうんこが、アドベンチャーになる。


 ☾☀闇生☆☽