漫画はね、
とかく線だ画力だ、構図のうまさだ、パースだなどと語られちまうものですが。
肝心なのは絵のうまさではないのです。
漫画のうまさなのです。
目的と手段を履き違えると、読み誤る。
諸星大二郎が、大友克洋の画力で妖怪ハンターを描いてどうすんだっつう話である。
セロニアス・モンクがオスカー・ピーターソンばりに弾きまくって、はたしてあの、彼ならではの世界が保たれるのかと。
キース・リチャーズがジェフ・ベックで、
あるいは志ん生が圓生である必要は、鼻毛の実をほどもないのだな。
むろん、
高い次元での話ね。
モンクと、ピーターソン。
はたしてどちらがピアノをモノにしていたか。
つまりは自分の言葉を自在に奏でたか。
それは甲乙つくものじゃない。
繰り返すがその絵が、
はたしてその漫画に求められているものなのか、どうか。
そこだ。
決して画集を見ようってんじゃないんだからさ。
☾☀闇生☆☽
ゆうせんで連日AC/DCが紹介されている。
たまらんよ。
ついつい店のポスに商品登録をしながら、アンガスのように足踏みでリズムをとってしまう、俺。
てぃー! えぬ! てぃー!
っおい! っおい! っおい!
昔、あの半ズボン姿にひいた覚えがある。
彼らを知ったのはLAメタル全盛期のこと。
当時はコンセプトがいまひとつわからんかった。
ボーカルはハンチングのおっさんだし。
けど、
たとえば萩尾望都の描くギムナジウムの『高級』美少年が、突如としてロックにやられてはみ出した。
そんな背景を勝手に浮かべてからは、キャラの経緯にエロを垣間見て、とべるようになった。
エイトビートロックのお手本中のお手本だね。
これだけシンプルなのにグルーヴをつくるなんて。
絶品なリフの宝庫だし。
蛇足だが、
彼らにトニー・ウイリアムスやウィル・リーは要らないし。
ましてやスティーヴ・ヴァイもお呼びじゃない。