「その者、
青き衣をまといて…」
もうね、
そのあたりになるとですね、
我慢の限界って感じでえ…、
爆笑
してしまうのだそうだ。
言わずもがな、ナウシカのクライマックスのハナシである。
それを「ぷぷぷっ」と堪えつつ話す年下の同僚。
耳まで真っ赤にしてさ。
そうか、
笑っちゃうか。もはや。
となれば、
ぼくはしにましぇーん、とか。
誰か助けてください、と同列になってしまったのね。ついに。
そこに至るまでの起承転結、紆余曲折、因果応報、諸行無常、西高東低、短小包茎、ケーシー高峰、などなど。
それら念の入った前戯をそっくりすっ飛ばしにして、笑っちゃうわけね。
ははん。
まあね、
アツイものは冷笑でかわしておくのが無難なのだろうさ。
そうしときゃ、胸、がっつりもっていかれて、眠れない夜を連ねることもないのだろうさ。
かく云うあたしだって、
いや、
この一億総大衆化の時代(段階)にあっては、こんな冷やかな視点から逃れられる人は稀なのだろうけれど、
相対化の蟻地獄の底で、空しくもがいているわけで。
その昔、
温水洋一が在籍していたころの劇団大人計画のハナシを、する。
松尾スズキが率いるこの一団が、テレビでネタをさらしたことがあった。
いわば飛ぶ鳥を落とす、演劇界の若手注目株としてのことだ。
松尾らは、観客を入れてのスタジオライヴの形で、コントを数編披露したのだが。
そのなかに、執拗におすそ分けをしてくる、言ってみりゃ有難迷惑なお隣さんを描いたものがあって。
そのブツというのが、決まって腐った生もので。
しかもただならない異臭を放っており。
しかしそこはひとつありったけの社交術だ、
つまりはお付き合いの笑顔で押し頂いたのちに、密かに、確実に、念を入れて破棄するのだが、なぜかそれがタマタマ送り主にみつかってしまうという。
土中深くに埋葬しても、たまたま発掘されてしまうし。
海に捨てても、たまたま引き上げられてしまう。
よりによって、送り主に、である。
して、贈呈したはずのおすそ分けを拾ってしまったその隣人は、ご丁寧にもそれをまた届けてくれるという、そんなコントであった。
そのアリガタ迷惑な隣人を演じた温水は、さながら三種の神器のごとくに、拾ったおすそ分けを頭上高々と捧げ持ってやってくるわけ。
ただならぬ情念をたぎらせた、一個の善意として。
客席の奥から、ステージへと。
そのたびに繰り返し流れる音楽が、なんと巨匠ベルトルッチが監督した『シェルタリング・スカイ』の、あの悲壮な旋律だ。
坂本龍一が担当した映画音楽の中でも、おそらくは最も完成度の高いシロモノで。
切実なまでにシンプルで、求道的なまでのあのテーマが温水の善意に問答無用の凄みをきかすわけ。
不肖、闇生。
映画本編を観る前にまず音楽だけで泣かされてしまったのだが、このコント以降、温水のビジョンに苛まれてしまう。
ヌクビジョンにやられる。
そんな自分の記憶の体たらくを、恨んでしまう。
ったく。
温水め。
嗚呼。
青き衣を笑った同僚も、それを友人に教えられてから、という。
残念なことにこのキョージュの代表曲は、いまや闇生にとって、温水と切っても切られないモノとなってしまったのであーる。
☾☀闇生☆☽
まてよ。
ってことは『カリオストロの城』であまりにも有名な、ラストの銭形のセリフ。
あれなんかもやはり…。
いまや…。