振り子時計の風情が好きでね。
昔、母方の実家の茶の間の柱には、振り子時計があって。
まあるい振り子を揺らしながら、
カッチ、
カッチ、
カッチ、と時を刻み続けていた。
して、一時間ごとにボーン、ボーンと鐘が鳴る。
倍音を豊かにふくんだ、
それでいて決して耳触りにならず、
くぐもってぬくもりがあるけど、まぎれもなく金属であるという摩訶不思議な音色。
刻々と鳴り続けているのに、決してせき立てない、あの音。
よくできてるなあ、と今更ながら感心する。
たとえば、西荻窪の石川浩司プロデュースのレンタルボックスのお店では、あの、誰もを立ち去りがたいぬくもりに浸してくれる重要な空間演出のひとつとなっているのだが。
それでいて、主張もしないとは。
なんと謙虚な。
当然と言えば、当然ですが。
対人の関係の間合い、と言いましょうか。
距離感と言いましょうか。
それは会話の空白、もしくは沈黙と言ってもいいのでしょうが、それ自体は「間」として注目されても、はたしてその空白を満たしているものまではなかなか配慮がいかないわけで。
この店では、ひとりで作品と対峙したい、という客と店員と作品との空間を、こんな音が満たしていたりするのです。
会話が途切れても、
長い沈黙でも、
カッチ、
カッチ、
カッチ、
あたしゃ、その間がたまらない。
てことで、
最近の現場でみつけた振り子時計。
詰め所の片隅で、ほったらかしでたたずんでいるこいつ。
きゅんとしたのでね、
んなことをのたまってみましたよ。
つげ義春の初期の短編に『初茸がり』という不思議な作品があります。
お爺さんとふたりで暮らす正太少年。
今夜は雨だから、翌朝には初茸がぐんぐん成長しているはず。
お爺さんにそう教わった正太は、朝が待ち遠しくてならない。
なかなか寝付けず、大きな柱時計の振り子の音を聞いているうちに、そんなに大きな時計がなぜお爺さんの家にあるのか不思議に思い始める。
そして、翌朝。
正太は時計の中で振り子に添い寝していた、という。
エンタメ的起承転結をすっとばしたつげの潔さが光る、一遍。
なんだかわからないけれど、記憶にのこるこの短編。
好きなんですわ。
ちなみに、
今週の現場では、
レイバー、暴走中です。
☾☀闇生☆☽