壁の言の葉

unlucky hero your key

映画『フローズン・リバー』


 コートニー・ハント監督・脚本
フローズン・リバー
 渋谷シネマライズにて


 予告編では、
 特に日本版のそれでは、サスペンス色を強調した編集がされている。


 パーンッ!


 と間を裂いて響き渡る銃声といい、
 本編にあったかすら定かでない、いかにもな音楽とで落とし込みをかけてくる。
 つまりは、それっぽいと。
 んが、
 そんなポップコーンムービー的娯楽色で期待させようなんていう野暮天ほど、芸がないものはなく。
 ましてや観賞後に残ったのは、良質な短編の読後感のような、程よい充実だ。
 そう、
 かつてここで紹介したラッタウット・ラープチャルーンサップの『観光』のような。
 貧しさと欲望と、
 ささやかな希望と、
 して、そんな業に揉まれつつも地に足をつけて生きる。
 いや、生きざるを得ない人々の、人生のひとコマが綴られているのである。


 舞台はセントローレンス川をまたいだ両岸。
 川を境にアメリカとカナダに分かれる国境地帯だ。
 そこには北アメリカ先住民モホーク族の保留地と、それに隣接する白人たちの町がある。
 主人公は白人の女、レイ。
 夫に出て行かれ、
 盛りをとうに過ぎ、
 顔は貧困と苦悩に深々と皺を刻まれて、
 若気の至りで彫ったらしいタトゥまでが、いまでは哀しくたるんでいる。
 日本で言うところの100円ショップのパートタイマーらしく、二人の子供とトレーラーハウス暮らし。
 或る日、
 夫の行方を追ううちに、その夫の車を使っているモホーク族の女と出会う。
 名はライラ。
 車は乗り捨てられてあったのだと言い張る彼女は、不法移民を密入国させることで生活していた。
 凍ったセントローレンス川を利用してカナダからアメリカへ。
 彼岸から此岸へ。
 レイは生活のためライラの仕事を手伝い、次第に犯罪に手を染めて行くのだが…。


 冒頭、
 まだセリフもほとんどないうちに、観客はまずレイの肉体に物語を見る。
 張りを失って皺んだ顔と、思いつめた眼差し。
 悲しみに震える指先と、煙草。
 鏡にうつる、たるんだ裸体とそのタトゥ。
 なんと雄弁なイントロだろうか。
 背景の説明をセリフや解説に頼らず、まずは映像で感じさせるというのが、映画本来の理想であろう。
 そこへいくと、この冒頭にさらされた女優の肉体。
 それ自体が、この物語の背骨といってもいいのではないのか。
 観賞後に振り返ればそれくらい重要で、
 もっとも効果的な演出であったと思うのだが、なるほど女性監督である。
 オンナを見つめることに容赦がない。
 それもことさらにアップで、なおかつ本編中に繰り返しこの『老い』は強調される。
 いや、『老い』というのはよそうか。
 ニュアンス的には『若さへの離別』か。
 『乖離』か。
 この映画はそれが底辺にあるからこそ貧困や、
 社員になれないことや、
 二人の子持ちや、
 逃げた夫や、
 それらの悲しみやらが、際立っていくわけである。


 先にも述べたが、よくあるサスペンス映画っぽい宣伝でありながら、それほどの大事件も、大爆発も、猟奇殺人も、思わせぶりな謎も、無い。
 それでいながら、冒頭から結末まで貫く緊迫感は、いったいなんなのか。
 たとえば街が一個けし飛ぶような爆発や、惑星ほどもある超巨大宇宙戦艦の登場ぐらいでは、今の観客はもう驚かない。
 けれど、そこに現実の自分と共鳴できる何かがあれば、たとえば主人公が箪笥の角に足の小指をぶつけただけでも、「いてててて」となるわけで。
 このフローズン・リバーならば、女優の肉体もふくめた日常生活感が、それではないかと。
 この生活臭は、ただならない。
 だから、たった一発の銃声が、事件にもなるのだ。


 それからつくづくと、こういう映画がひょこっと出てくるところにアメリカの面白さがあると。
 こういう企画がもし日本であったとしても、こんなキャスティングはできまい。
 人気どころで固めちゃうんだろうな。
 どの俳優も、いい貌(かお)をしていて、ほれぼれするよ。
 役者の層の厚さも、今更ながら垣間見た。
 特に、モホーク族側の役者たちね。

 
 音楽。
 スライド・ギターか、スチールギターか。
 冒頭から流れているのが、効果的だ。
 エンディング・テーマ曲は、開演前から場内に流れていて、なんとも素敵な前・後戯をくれる。
 統一感を作った白く青い光線も、凍てついた町の風情を醸し出していて良かった。




映画『フローズン・リバー』



 予告編の比較↓











 ☾☀闇生☆☽


 後ろの座席で、ポップコーン食われて前半は気が散ったなあ。
 しかも音の立つビニール袋入りのよ。
 そういうタイプの映画ではないことくらい、リサーチしようぜ。
 アミーゴ。


 追伸。
 テレビモニターで見るには程よいのかもしれないが、顔のどアップが多すぎると感じた。
 もうちょっとひいたアングルにしても良かったのでは。
 コーエン兄弟の『ファーゴ』を連想。