ターセム監督作
 『ザ・フォール 落下の王国』
 DVDにて。
 以下、ネタバレ注意。








 あらすじは、先日ここに記したが。
 ほぼ予告編で説明されているとおりである。
 繰り返せば、
 自殺願望のスタントマンが紡ぎ出す、アラビアンナイトだ。
 広く知られているように、処刑を免れようとした女が「続きはまた明日」と千一夜にわたって語り続けた物語。それがアラビアンナイトである。
 これとは逆に本作は、死ぬために編みだされた物語といえよう。
 大失恋をしたスタントマンが、大怪我をして動けない。
 失恋と、失業と。
 失意のどん底で彼は、同じ病院に入院する幼女の気を引こうと物語をはじめるのだ。
 ねらいはただひとつ。
 手なずけて、薬局から大量のモルヒネを盗み出させるため。
 なるほど。
 この設定が浮かんだ時点で、監督ターセムは作品の勝利を確信したことだろう。


 デビュー作が『ザ・セル』。
 ジェニファー・ロペスを主演に立てた娯楽作である。
 快楽殺人犯の脳内に心理学者のヒロインがダイヴする話で。
 拉致監禁された被害者の居場所を犯人の心の迷宮のなかに突き止めるという。
 その迷宮を形づくる美しくも残酷な地獄絵図。
 むろんそこにも如実に現れてもいたが、犯人の異常性欲についての描写がなによりイッていて。
 巨大な水槽に監禁した被害者女性を、時限装置で水死させるのだ。
 密室には水が流れ込み、次第に満ちてカサを増し…。
 それもナマで見物しようというのではない。
 自分が留守のあいだに自動で水槽が水に満たされるようにしておく。
 その様子を固定したビデオカメラに録画しておいて、帰宅してから愉しむという。
 さらには死体を取り出して、
 全裸にして横たえ、
 自らの肉体にあけた穴にフックをかけて宙釣りになる、いわゆるボディサスペンションで死体の上空にとどまり、然るのちに自家発電と咆哮という具合。


 唖然とした。


 何にって、これをエンターテイメントに放り込む性根にだ。
 いや、放り込まずにはおれなかった、その熱きヘンタイ性に。
 むろん、のちに控える絢爛たる映像美あってこそ活きる描写ではあるのだが。
 それがデビュー作であるがゆえに、闇生には手加減が見られたのだな。
 惜しい。
 ジェニファー・ロペス主演のサイコサスペンス映画としての娯楽性への配慮がある、と。
 大人の事情がございますと。
 いっそ名をあげて、次回作で存分にぶちまけて欲しいと願っておったわけ。
 好き放題に、やっちゃってとね。
 念のため断わっておくけど、猟奇的なのをやれと言っているのではなく、猟奇的な表現に垣間見られた得体のしれない情念のことを指しているのね。
 そんなもの手加減されると、じれったいでしょ。
 さて、
 そこへきて待ちに待った今作である。
 スタントマンが語る奇想天外なる一大叙事詩を、世界中の遺跡や文化遺産を背景にして映像化したというのがうたい文句だ。
 絢爛に歌舞いた衣装も、それら異なる文明の遺跡の寄せ集めである世界観に、重要な統一感を与えてもいる。
 ガウディや、カラー時代のフェリーニ
 もしくはホドロフスキー好きなら触手をくすぐられることうけあいの世界観だもんでえ、


 嗚呼っ、
 存分にやらかしてくれるのねっ。


 とまあ、
 期待を持ちすぎたのか。
 思い描いていたほどの童心にはさせてはくれなかった。
 かつてテリー・ギリアムの『バロン』にも、同じような気持ちにさせられたことがある。
 いいんだけどぉ、何かが足りないかもと。
 それはひょっとすると、こちらの老化に原因があるのかもしれない。
 サーカスを夢の世界としてではなく、興業ビジネスと労働の現場として見てしまうという。
 そんなつまらん見方をしてしまっているのかも。
「この城、どこで撮ったんだろう」
 なあんてね。
 

 それと今挙げた『バロン』にも関係するのだが。
 今作のおとぎ話パートは、RPGよろしくパーティで進む。
 それぞれ個性の違う面々が一丸となって、復讐のための冒険をするのである。
 こういう場合の旅は、その能力を活かした道中であってほしいもので。
 個々の能力はむろんのこと、足し算の関係ではなく、掛け算的に力を出し合って難関を解決してほしいわけ。
 それこそがおいしいと確信するのだが、意外にも、その期待にこたえてくれるものは少ないわな。
 いまひとつ、その能力の面白さが感じられなかったわい。
 

 それというのも、たぶんあれだ。
 わかった。
 現実パートの幼女があまりにいい所為なのだ。
 子役の演技レッスンで固めた芝居ではないのよ。
 おっそろしく自然。
 んで、
 おそらく演出は、それを撮るために仕組んでいると見られる。
 スタントマンとのやり取りも、セリフの方向性が固められているのはスタントマンの方だけで、幼女は本当にその場でリアクションをしているように見られる個所がいくつもある。
 きっと、この幼女の良さが、映画にとっての事件だったのだろう。
 構想ン十年とあるが、この生のリアクションを優先して台本を訂正したのでは、とまで思わせる個所も少なくない。
 くしゃみのとことか。
 この子役だけでも、見る価値はあったわ。




 ちなみにスタントマン。
 バスター・キートンなどが活躍したサイレントの、スラップスティック・コメディー時代のそれである。
 その、笑いのために命をかけた名もなき彼らを愛しむくだりには、心をつつかれてしまった。
 音楽はベートーベン。
 はて、それがこの映画にあっていたかどうかは、いまひとつ考慮の余地がありそうだ。
 更なる正解があったような。




 ☾☀闇生☆☽