壁の言の葉

unlucky hero your key


 転職にしろ、ダブルワークのアルバイトにしろ、それまでの生活を否応も無く変えることになる。
 時間配分はむろんのこと、そんな変わり目ではなんやかんやと出費がかさむものなのだ。
 十代の終わりに完全出来高制の仕事に疲れ果てて、投げ出してしまったことがあった。
 スイッチを切ってしまったのだ、自ら。
 時間に追われず、日々ただぽわわんとしながら、遠のいていく喧騒の余韻に背を向けていた。
 ともすればそのままホームレスになってしまったかもしれない。
 けど、現実問題として、ぽわわんはぽわわんなりに時間は費やしているわけで。
 確実に減り続けるお金を勘定しながら、あと一日は。あと一日は。とスイッチをオンにするのを留保しつづけてしまう。
 ぎりぎりになったら日雇いにでも行けばいい。
 そんな開き直りも、社会感覚から遠のいてしまっているために、いざ行動となるとにっちもさっちも行かないのであーる。
 浦島太郎状態で、時すでに遅し。
 せこい話だが、
 まず求人誌が買えない。
 買ったところで、応募の電話がかけられない。
 当時はケータイの無い時代で、なおかつウチには固定電話も無かった。
 我がアパートにはたった一台、共同で使用するピンク色の公衆電話があるだけだ。
 さて、それもなんとか都合をつけたところで、今度は履歴書が要る。
 添付する顔写真が要る。
 面接の交通費が要る。
 いまでも記憶にあるのはポスティングのバイト。
 現地集合の現地解散だが、お給金を日払いで頂けるとのことだった。
 ポケットには現場への片道分の交通費のみ。
 呑まず食わずで立川の現場へ赴き、くそ真面目にポスティングに汗を流し、いざ終業の時間である。


「では解散っ」


 雇用主が無情にもそう告げるではないか。
 あわてて日払い希望の旨を伝えると、
「じゃ、申請して事務所に受け取りにいってください」
 そこからまた都心に帰る電車賃まではなかった。
 ポケットを探ると五円玉が二枚。
 ビスケットじゃあるまいし、ポケットの上からなんぼ叩いても増えてくれやしない。
 友人への電話もかけられない。
 店先に公衆電話を設置しているところへお願いして、それを十円玉に替えてもらおうとしたが、
「その電話、うちの管理じゃないので、両替はちょっと」
 ニベもないではないの。


 え?
 野宿すんのか? 俺。


 真冬である。
 恥を忍んで交番で事情を話した。
 すると両替してくれたばかりか、さらに個人的に十円をいただいた。
 ありがたや、公僕。
 物乞い状態である。
 さて、その十円で、一番近くに住む友人に電話をかける。国立。
 むろんコレクトコールでだ。これはいまではあまり聞かなくなったが、料金先方払いのサービスで、オペレーターが先方にその旨確認をとってから回線をつなぐというものだった。
 んが、
 生憎と留守なのね。
 終電を過ぎても、留守なのね。
 そこで腹をくくって線路伝いに帰ったろと。
 いや、帰ることができたところで、事務所までまた歩くのか。呑まず食わずのまま。
 そう考えると、無謀にもほどがあるわけで。
 次に近い友人のとこまで歩くことにした。
 歩いていれば、少なくとも凍えることは無いが、いい加減、疲れる。
 ましてや、電車でしかいったことがないから、道がわからない。
 そこで線路伝いに行こうとするが、線路に平行して敷設された道など、そうそう無いことに初めて気がついた。
 それでもどうにか見当をつけてゆくと、今度は河が行く手を阻む。
 線路は鉄橋をゆくが、道はというと、そこからはるかに離れた国道の立橋だったりする。
 土手を上流へ行って、そこの看板で道を間違えたことを知り。
 今度は下流へと延々歩いて、ようやく河を渡ったが、もはやそこがどこなのかわからない。
 空が白み始めたころに駅を見つけて、路線図を参照したが、聞いたことのない駅ばかりだ。
 観念して、そこにうずくまった。
 朝になって、相模大野の友人に電話をして迎えに来てもらって、そのまま数日間、彼の部屋に厄介になってしまう。
 けれど、一度こういう状態にまで落ちると、社会復帰というのは困難きわまりない。
 このあともしばらくは、似たような状況が続くのだが、それはまた機会があれば…。


 んで、


 いまのケービ士のバイト。
 初勤務までにはまだあと数日を費やすことになるが、これもやはりなんやかんやと出費がかかるのね。
 いや、そのひとつひとつはほんと少額なのだけれど。
 先にも述べた履歴書だの、顔写真だの、面接の交通費以外にも。
 住民票の写しの発行料。
 四日間の研修のための交通費。
 社内規定の髪型にする床屋代。あたしの場合、散髪したてだったのだがイエローカードを頂戴して、立て続けにもう一度利用した。
 制服に使う規定のワイシャツ、数着。
 同じく既定の肌着。
 同、靴下。
 ヘルメットから安全靴までの装備品を持ち歩くためのでっかいバッグ。
 会社指定の銀行の口座。
 これは給料を受け取るためのもので、むろん開設はタダだが、最初にいくらかは入金しますでしょ。
 そのほかにも強制ではないが、これはあった方が便利だという細々したものがあって。
 現場では机のないところで報告書を書くので、それを汚さず、なおかつ下敷きにも使える原稿用のクリアケースとか。
 もろもろをトータルすると決して馬鹿にできないのですな。
 特に、私的財政難で職を探している方々には、これらの出費は地味に痛い。
 最初の給料までがやけに長い。
 なので、
 軽挙妄動はいかんが、
 どなたさんもゆとりをもって早め早めに先を読んで動くのがよろしいかと。





 ☾☀闇生☆☽