そうそう、キングオブコント
 今回はじめて拝見した。
 それぞれのネタや演技はともかくとして、どうなの? あの背景。
 ピカピカの電飾で、うるさいわあ。
 できるだけ無駄を省いて、コント世界そのものだけを現出しましょうよ。
 その世界へ連れて行ってくれよ。
 作り手は、別役実の演劇入門くらいは参照しましょうよ。


 背景は暗幕。
 小物も排除して、机と椅子。
 あとはすべてマイムで表現。…と制約して、それを共通のルールにしたほうがおもしろいと思うのだがなあ。
 それなら場面転換も、観客の想像力を使ってころころ掻きまわせるぜ。
 時空だって自由に行き来できるぜ。
 白亜紀の首長竜のニートが、アキバのメイドに恋したっていいじゃんか。
 その指名のないぽっちゃりメイドに会いたい一心で、首がのび、のびにのびて、時空を超えたっていいじゃんか。
 古今東西の、空をゆく竜の伝説が、実はそのアキバに向かう首長竜の首であったとしてもいいじゃんか。
 なのにあれじゃ「床屋にて」みたいなひとつのシチュエーションに縛り付けたネタばっかじゃん。
 ドリフの『もしもシリーズ』のころから進歩しとらん。
 番組の制約が、それを妨げているのではないのか?
 どうしても『ゴールデン番組』という、昭和チックな価値観から抜け出せないのだろうな。スポンサーと番組の作り手は。

 
 じゃんか。
 

 ならばいっそ深夜にしてくれんかな。
 だいたい生でテレビを見る人自体が減っていることは明白なはず。
 あの背景は、もはや妨害ですぞ。
 ネタ潰し。
 ひいては芸人潰しでもあります。


 それとやはり漫才とコントの違いってなに?
 そう首をかしげる方が多いと思う。
 芝居に入るかどうか?
 小道具を使うかどうかだけ?
 それはどうやらツッコミにかかわっていると闇生は思うのだ。
 コントでのボケにいちいち突っ込みを入れているのは、やはり漫才調になってしまう。
 まあたしかに、
 テレビの観客は、テロップもふくめたツッコミ(笑いの説明)に毒されてしまっている。
 だもんでそれなしには笑うきっかけがつかめない。
 松本人志の『ビジュアルバム』の評価が分かれるのは、そこによる。
 あれは松本が、昨今の笑いの説明過多に逆らった、彼なりの反骨だったのではないのか。
 観客自身が、脳内のツッコミさんを稼働させなくては理解できない仕組みになっていたよ。
 それがあたりまえの姿なのですがね。
 いちいち全部にツッコミを入れる爆笑問題の田中が受け入れられているのも、昨今の説明過多の象徴かと。


 音声の笑いに釣られて笑ったり、
 テロップによるボケの強調という大味なものばかりに甘やかされているのは、うん。もったいないのだがなあ。









 敬称略。


 ☾☀闇生☆☽


 今日電話で問い合わせたバイト先は、好印象。
 そこにまず企業の態度が出ますわな。
 なんだったんだ昨日の某警備会社の受け付けは。