見渡す限りの荒野である。
 そのまっただ中を、粛々と軍隊がゆく。
 やがて前方に放っておいた斥候から報告が入る。
 南南西2キロの地点に水場があるとのこと。
 そこはちょっとした町で、食料も調達できるらしい。
 ただちにその情報は隊長から下々へと伝達され、くわえてその地点で野営することが決定される。
 となればだ、
 隊員たちは、各々が腰にしている水筒の水の消費のペースを計算する。
 たかだかあと2キロだ。
 ならば、無理に我慢せずにすべて飲み干してしまってももつだろうと。
 して、それぞれが受け持つ野営での担当職務を、いまいちど頭でシュミレーションするだろうし。また、約束された安眠への誘いが緊張を解くに違いない。
 そうして行軍をつづけるのだが、歩けども歩けどもその町にたどりつかない。
 しばらくして「南南西2キロ」は「20キロ」の誤りであったと判明する。
 もはや水筒はからっぽ。
 10キロを過ぎたあたりで、わずかな木陰と涸れかけの井戸に遭遇する。
 隊長はここでひとまず休息をとろうと。
 隊員たちは軍装をとき、やれやれと腰をおろすのもつかの間、また命令が変わる。
「どうせなら日没までに町まで進めよう」
 おいおい。とまた立ち上がる。
 けれども、そもそもその町の情報は確かなのか。
 この井戸のことが誇張されていただけではなかったのか。
 たとえ情報どおりの町が存在したとしても、休息はほんとにもらえるのか。
 こうなってくると、次第に情報や指示に信憑性がなくなり、まもなく士気に影響し始めて、チームワークにもほころびが出始める。


 ここ数ヶ月の職場の状況が、ちょうどそんな感じであった。
 2月に勤務先店舗の撤退が決まり、
 つまりは失業と。
 しかしテナントの契約上、あと半年は営業を続けなければならなくなり、
 さてその明け渡しを目前に控えて、わが社の本店のスタッフがひとり、独立してそれを引き継ごうという流れになる。
 となると本店の席がひとつ空くわけで。
 必然としてあたしがそれを埋めることになった。
 となれば当初は解雇・再就職というモードで回転していたこのポンコツあたまは、油をさして心機一転、本部の引継ぎモードにギアチェンジしなくてはならなくなったという次第。
 店のカラーも、扱う商品の種類も現職場とは大きく変化するので、それはそれで覚えることが少なくなく。
 などと心の準備もふくめて待ち構えていると、途端にそのスタッフの独立の話が流れるではないのさ。
 彼は独立をあきらめ、急遽として本店へもどることに。
 すると、どうなるのよ。このあたしゃーよーと。
 店は失せ、
 約束された席も。。。


 などとそれを愚痴るつもりはないぜ。


 と、ここですまん、ベタをかます。
 組織だった集団とは『ほう・れん・そう』の徹底を大前提とする。
 どーん。
 それぞれ報告・連絡・相談の頭文字をとった言葉であることは、よく知られているとおりで。
 単に『ディスカッション』と呼んでもいいかもしれない。
 して、それを効率よく機能させるには、やりとりされる『情報』が確かなものでなくてはならないと。
 強いサッカーチームほど、ベンチもふくめて試合中によく声がでているのと同じ仕組みである。
 くわえて大なり小なりともチームである以上は、平等主義にかまけてばかりいたのでは動かない。
 必然として最終的にはだれかに権力をたくさなくねばならないと。
 決定権。
 その決定されたチームの方針をたよりに、各々がぞんぶんに『個性』を機能させるわけであるからして、その方針自体がころころ変わったのではたまったものではないのだ。
 『信』とは『人』の『言』葉ではないのか。
 違うのか?
 そこに責任がもたれないとなれば、どうしたって求心力は失せるのであーる。
 想像するまでもないが軍隊はむろんのこと、そんなサッカーチームは、もろいわな。


 確かに愚直を美化して脳を硬直させるのは危険だろう。
 といって臨機応変という柔軟性を方便にして、それを乱発していたのでは信頼を欠く。
 欠きまくる。
 などと身近なチーム(勤務先)のことをつらつらと考えつつ、国家という巨大なチームに思いを馳せた。
 総理大臣がころころ変わること自体が、そもそものところもどかしかった。
 そして、そんなこんなの積み重ねで求心力を欠いた政府であるからして、有権者が新政権への希望を抱こうにも、どこか空々しく。
 ならばマニフェストなるキャッチコピーも、つまりは言葉も、いまではしらじらしいばかり。
 期待しているのではなく、有り体は期待したがっているだけではないのか。


『政治ばかりでなく、すべての人間関係において、期待と不信とは表裏一体のものであり、過度な期待が一転して過度な不信に化するのが常である。』
『政治家に吾々一般国民以上の聖職者意識を期待するのは、彼らに「返して貰えぬ下足札」を渡すことであって、それこそ危険なものであり無責任というものではないか。政治家に期待すべきは内政、外交の政治的技術であって、清潔や正直という美徳ではない。」
 (福田恆存産経新聞2009/9/5付『昭和正論座』より)
 ↓
 http://sankei.jp.msn.com/etc/090905/etc0909050814001-n1.htm


 しかしどうだろう。
 実はあたしたちゃ、すでに心のどこかで、政治家の清潔や正直などはあきらめてもいるのではないだろうか。よって期待の言葉にもまた、責任感がない。
 そんな言葉が行き来するチーム事情だ。
 嫌な大人になっちまった。
 というかさ、疲れちゃってんだな。もう。
 めんどくさい。
 疲れたアタマには改革とか交代とかの分かりやすい言葉が、みょーに心地よいわけで。
 音を立ててつまらなくなっていくテレビ番組の、そのチャンネルはしごのついでに出くわして、刹那的に気を留められればいいほうか。
「ほお。ほざいちょる。ほざいちょる」
 交わされる言葉はますます浮ついて、ふわふわと頭上を行きかっているのであーる。


 いかん。
 言葉にずしりと生気を取り戻さなくては。
 ニヒリズムからできるだけ距離を置かねば、試合にならぬわと。
 身近な経営者や会社、あるいは家族を考えるように国政を見、国政をみるように会社や身の回りの共同体を考えて、ここはひとつ過度の期待からも、そして諦めからも身を引いておこうか。
 地に足をつけよう。
 うん、
 正念場だぜ。
 各プレイヤーの自立心あっての、チームだもんね。






 ☾☀闇生☆☽