フリートークでお笑い芸人がよく取り上げるのは事件…、とまでもいえない身近におきた小さなハプニングやらの私的出来事であることが多い。
 そこで昨今目立つのが、あたまに来たこと。
 とりわけ「俺様」に対して融通の利かない社会のあれこれを、その舌鋒で血祭りに…、といってもむろんお笑いとして仕上げるわけだが、ののしるやりとりだ。
 繰り返すようだが、それがプロの技術に支えられたお笑いに昇華されているのならば過激であろうが毒舌であろうが、いやそうであるほどに視聴者のガス抜きの役割をはたすこともあって、腹をよじっておおっぴらにガスを抜くそのひとときたるや、それはそれは痛快至極なのであーる。
 けれどもこれが一旦ピントのずれた視点で、しかもそのずれ具合を少しも突っ込まれぬままに展開され続けるとなると、今度はもどかしさに身をよじるはめになり、度を越せば、腹立たしくもなってくる。
 突っ込みは指摘になり下がり、
 毒舌は中傷に、
 過激はたんなる露悪の域を出ない。
 それでもモニターの中だけで共有されて、とりあえずは『お笑い』でござい、と日々仕立て上げられる『偽装』には、さすがに空々しさを感じずにはおれず。
 ましてや、
 不況のあおりをくらってか、テレビは低予算の企画にばかり走りがちで。
 いや、それ自体はかまわん。
 要は面白ければいいのだから。
 かえって知恵のしぼりどころといえるのだから、お手並み拝見といきたい。
 てか、いこう。
 なのにそこを、ただ安く済むという根拠であんなにフリートークを乱発されては、否応もなく『質』は落ちざるをえまいと。


 所詮はタダってか。


 気がつけば、いつのまにか流行ってることになってしまっているではないの。
 そうなると、
 お笑い以外にまでそれは影響するはずで。
 雑誌のコラムやエッセイ、
 はたまた、この手のプログにまで。

 
 某有名女性作家がとりあげた、居酒屋での不快な出来事もまた、おそらくはそんな風潮(ノリ)が作用してのことに思えた。
 この風潮の標的は、常に『下』に向けられるのが特徴である。
 そして、不肖闇生は、はずかしながら、そんな標的側の業務につく。
 であるからして、この風潮から発せられる指摘には、肯定することもなくはないし、耳が痛くなることもあるのだが、つい反論が頭によぎってしまう立場でもあるわけよ。
 けれども、
 それでもわれらは『下』であるからして、それは決して許されないのである。
 だからね、
 いいなあと率直に思うのだ。
 影響力、と言おうか、いまや権力とまで言えそうな電波や媒体を使って、放言できるなんてさ。
 こっち側からはタブーだものね。


 居酒屋なんかの飲食店、
 タクシーの運ちゃん、
 だいたいそんなとこが多いよね。標的。
 でもって、この不況にもかかわらず、この二つはいつも求人し続けている。
 それはつまり、どういうことかと。








 ☾☀闇生☆☽


 そもそも『笑い』も『文筆』も、『上』を標的にしていたものだった。
 だからこそ出世して大物になるほどに、少なくとも日常レベルの毒舌は控えざるを得ないわけで。
 標的を上へ上へと。
 しかし今やコッカケンリョクなんてものも、風潮によって左右されるご時世。
 (投票はむろんのこと、支持率やら裁判員制度等々で)
 となれば、表現者にはこの風潮の『のさばり具合』までもを手玉にとって見せる知性と技術が不可欠かと。
 して、
 それを意識してか、
 いや、無自覚がゆえなのだろう。大物も小物もふくめたこの手の見下し芸がはびこっている次第なのであーる。 
 これを表現者の劣化とみるか。怠惰とみるか。
 それらもまた表現の『規制』を作り手に強いる、『風潮』がゆえなのか。