コンビニ版で『銀河鉄道999』が出ているではないの。
 って、思わず買ってしまった自分にあきれたりして、いる。
 昔、豪華版で全巻そろえたものだったが、売り払ってしまったのであーる。
 なんせ部屋がもうマンパンで。
 しかも財政難だったもんで。
 あたしゃ、なんつったってこれの劇場用アニメにやられちゃったクチでしてね。
 でもあれでござんしょ、
 映画版は鉄郎がイケメンになってしまって。なんだかなあ、な人が多いとか。
 どうすか。
 あたしゃそれもわからないでもないのよ。
 んが、
 劇場版での鉄郎ってのは孤児たちをひきつれて、銀貨鉄道のパスを狙う窃盗団なんかをやっているくらいだから、あれくらいギラギラしていて正解なんです。
 母を慰み物にされたその憎悪をカテに、ご法度の裏街道でしぶとく生き抜いているわけですからね。
 一方、漫画とテレビの鉄郎はといえば、戦後、加速する一方の、平和ボケの、そんな我々の共感を狙うわけであるからして、あんな風にぷにぷにしてるのがよろしいかと。
 それがシリーズとして時間をかけ、
 メーテルにぺちぺちと調教されて、
 いろんな星の素敵な大人たちにふれて、徐々に男になっていく過程こそがミソなわけですから。
 そう。
 ぷにぷにしていてこその、ぺちぺちだ。


 ようは、ギラギラとぷにぷにとぺちぺち。


 



 なにが「ようは」だか。
 

 なにはともあれ、
 時代と松本零士とが、びたあっとリンクしていた、その絶頂期のものですな。
 生まれるべくして、生まれ出たようなもので、生み直すなんてことのできるものじゃない。
 よって、
 時代を経て連発されたスピンオフ的なものは、時代にそっぽを向かれてしまったのかと。





 


 ☾☀闇生☆☽


 勤務先。
 いよいよ閉店は九月に決定。
 さて、
 どうなるのでしょーか。



 あ。
 いま思ったが、この鉄郎のぷにぷには、甘ったれながらもアツさがあった。
 けれど、それは次第に時代から逸れて。
 のちにアムロ・レイの、あの斜に構えたやる気の無さが時代の共鳴板になりーの、
 これが時代に沿ってさらに変容して、碇シンジのそれになると。
 この、ニヒリズムの深化とそれへの苛立ちについては、かつて宮沢章夫の著作に沿って、ここでも触れたなあ。
 彼はそれを「暗いまなざし」と呼んでいたっけ。