丑三つ時の静寂に、男の咆哮。
――。
それで目が覚めた。
誰かがどこかで絶叫している。
壁かなにかを殴り、
物をなげて、叫んでいる。
割れる音。
窓から闇に眼を凝らして、聴き耳をたてる。
かすかに年配の女の声が、それを諫めているのがわかる。
男の声は言葉にならず、おそらくはその、言葉にできないもどかしさも含めた苛立ちであり、絶望であり、哀しみでもあるようで。
これまでにもときたま、ご近所のどこかから荒ぶる物音がすることがあった。
ドアを外から鈍器で殴るような音が、
だんっ、
だんっ、
と、しばらくの間続いたり。
あるいはやはり声がして。
どこの家からかはわからない。
けれど、近くのどこかに、そんな問題を抱えている家があることだけは確かなようだ。
それで小学生のころを思い出した。
自宅界隈で、子供たちの年長者になると自然と通学団の団長に指名される。
通学団、だなんて言葉がいまだにあるのかは知らないが。
学校から遠い地域は、その地区ごとにグループを組んで登校する。その組をそう呼んだのだ。
団長はおのずと六年生が務め、グループの先頭を預かる。
して、下級生はそのうしろに一列に並んで、最後尾を副団長が守るという陣構え。
田舎の国道はすいているが、その分だけどの車もすっ飛ばしている。
長距離トラックのでかいのがびゅんびゅん行き交うのだ。
そんなわけで、交差点や歩道の無い地点での事故を防ぐために、粛々とこんな登校の仕方をするのである。
しかし、
それはあくまで建前のようなもので、実際のところは鬼ごっこだの影踏みだのしながらわいわいと行くものなのだ。
子供ですからね。
あたしの先代の団長も、先々代もそうだった。
団長が毎朝、その日の遊びを考える。
その慣習があたしの代になって素っ気ないことにしてしまうのだな。
昔から歩き出すと黙々として妄想に耽る。あたしゃそんなタチだ。
だもんであたくし闇生団長はむっつりとして遊ばない。
ひたすら歩き通すだけの、つまらん年長さんであった。
ふと我に返り、振り返って、ダンマリとしてついてくる従順な下級生たちの姿に、苦笑したものだ。
すまん、つまらん奴で。
思えばこの頃からウォーキング好きになる素質があったのだな。
とまあ、会話の少ない我が通学団ではあったのだが。
そうはいってもご近所であるからして、それなりに遊びもしたし。ぐだくだと暇をつぶし、時には喧嘩もしたものだ。
それがやがて中学に入り、声変わりを経ると、次第によそよそしくなって互いの近況には疎くなる。
ましてや、歳の三つ以上離れた下級生ともなると、中学でも重ならないわけで。
そうこうするうちに就職や進学のための上京や転居で、知らぬうちに散っていたりするのである。
そうなるとご近所の近況は、今では帰郷のおりに耳にするくらいだろうか。
それでだ、
かつて我が通学団の一員だった者がひとり、壊れてしまったときくのだな。
記憶の中の彼は、いつもにこやかで、静かで、あやういまでに優しかった。
それが高校に入って、自宅をたまり場にしたあたりから何かが狂っていったらしい。
シンナーに耽っていた、と噂されるが、はたしてそれだけだったかどうか。
家じゅうの窓が割られてなくなり、叫び声が絶えなくなって。
それでも辛うじてそのあたりで終わっていれば、不良という、決して珍しくはない人生のいち側面ということで済んだかもしれない。
けれど、
それから数年を経た今彼は、白昼の交差点で誰もいない虚空にお辞儀をしたり、冬でも裸足で、笑いながら踊るようにさまようのだという。
かと思うと、言葉にならない叫び声で、コンビニの外から店員に怒鳴りつけていたり。
通りに面した障子に覗き穴をもうけて、日がな一日屋外を監視していたりと。
弟が家を出たというが、無理もない。
母は、その心労がたたったのか、鬱を抱えた。
絶望のふちからのSOSは、彼女の場合、絶叫のかたちをとらず、音楽と言葉によりそった。
某シンガーソングライターの歌と歌詞のコピーを、近所に配っているという。
周囲もまた、声を掛け合って地域の催しに誘い出したりしているというが、はたしてどこまで立ち入っていいのやらと…。
こういうのを単に「イッちゃった」の一言で片づけたくはねえんだな。
あまりに安直でよお。
狂気と正気はあきらかに違うが、その境界線は曖昧模糊として地続きだもの。
といって、
解決は至難の技なのだがね。
痴呆(認知症?)と徘徊をこじらせた人も、ぽつぽつ耳にするし。
よく遊んでもらった近所の先輩の自殺も、知った。
ったく。
それにしても、悲痛だよ。
真夜中の絶叫。
言葉にならない叫びは、絶望の壁を素手で殴るような、そんな攻撃的な哀しみで満ちている。
自分を脱ぎ捨ててしまいたいのに、かなわず。ならばと、世界へ牙をむくような。
☾☀闇生☆☽