ラッタウット・ラープチャルーンサップ著、
古屋美登里訳、
『観光』早川epiブック・プラネット
以下は、その感想をかねて。
不肖闇生、
たった一度だけ、海外に行ったことがある。
それは昭和の終わりの社員旅行で。
無駄に若さを費やした完全歩合制の、しがない営業職でのことだった。
社員の競争意識をあおろうと、会社は期間を区切って定期的にコンテストを催していた。
チーム戦、個人戦と部門ごとに契約数を競うというやつで、運よくそれに入賞したあたしは、その御褒美として海外旅行の権利を獲得してしまったのである。
よりによって入社してわずか数ヶ月のおのぼりさんが、だ。
して、その行き先がタイであった。
さて、そうと決まったはいいものの、それから出発日までに二ヶ月あまりも時間がある。
となればその間も、完全歩合制で食いつなぐ酷薄なる日々が続くわけで。
して、いざ出発がせまってみると、どうだろう。コンテスト以降あたしは契約を取り逃しつづけ、哀れかつかつの生活状態に。とてもじゃないが優雅にタイ旅行としゃれ込む状況にはなかったのだ。
しかし、そうはいっても額に汗して競い合い、やっとのことで獲得した権利である。
この営業集団は、弱肉強食のせめぎあいが生む摩擦熱を動力源としている。自然、ならいとして勝者は、これみよがしに勝利の美酒をあおらねばなるまいと。
そんな義務感が、暗黙のうちに浸透してもいて。
事実、毎日のように先輩方はそれを羨む声をかけてくるし。
よって、こともあろうに勝者がそんなちまちました理由で褒美を辞退するなんてことは、どうにもこうにも敗者にとってもネガティヴでごさると。
うん。
で、困ったのよ。
んがしかしだ、
まあ、考えてみれば、
旅の一行のなかであたしはまぎれもない最年少。
ぴっちぴち。
お肌、つるっつる。
つまりはカバン持ちに終始するはずであるからして、ビンボー旅行でもいいじゃないかと高をくくったのだな。
小遣いなしで挑む修学旅行のようなものに違いない。
寝て、
食って、
異国の空が見られればいいわいとね。
そんなこんなのあたしを含めた勝者たちは、いざタイへと乗り込むのだな。
で、のっけからどうも雲行きがあやしい。
先にのべたようにあたしゃ修学旅行の気分でいたのだ。
ところが、現地での食事代は自腹だと、離陸したばかりの機内で知らされるのだな。
なんと哀れな勝者か。
おそらくはそんなあたしの懐具合を察したのだろう。唐突に、重役クラスが社員に小遣いを聞いて回るではないか。
すると案の定あたしと、そしてもう一人、ほぼ同期の先輩が同じような逼迫した経済状況と判明しちゃったもんだから、こっちゃ赤面よ。
そこでどうやら幹部連中が討議とあいなって、われわれ若輩どもの空きっ腹は、その上司たちが面倒をみることになったというわけ。
やれやれ。
けれどこのあと、
我がビンボーにいろんな意味で救われることになるのだが…。
その夜は宿泊ホテルで食事。
そのあと、そこのバーに。
カラオケとミラーボールの広いステージがあって。
しばらくして気づいたのだが、壁際にひな壇があって、子供が二十人ぐらいそこへずらりと腰掛けている。
でもってカラオケではしゃぐニッポン人たちを、暗がりからじっと見ているのよ。
すると、先輩のひとりがあたしの耳に囁くのだ。
「好きなコの番号と、自分の部屋の番号を店員に伝えるだけで、いい」
見ると子供たちは腰に番号札をつけた女の子。
けれど、そのときのあたしには、その「いい」が何を指すのかが分からなかった。
しかも、同僚の女子社員たちもいる場でのことなのよ。
はっきり言うけどね、
そのコら、まだどこもでっぱってない、がきんちょ。
ぼん、きゅっ、ばん、のなにひとつとして持ち合わせていない段階よ。
そんなのが番号札をつけてたって、若き闇生には連想のとっかかりすらもてやしない。
だいたい、家族はどうしてんのよ。
ともかくその夜、カバン持ちとしての気遣いと、イッキの強要で疲れはててしまったあたしは、部屋にもどるなり死んだように眠ったのだ。
いや、眠るように死んでいたのかもしれない。
目覚めると、上司たちは昨夜の武勇伝に花を咲かせている。
それでも、純情だったあたしは、理解できなかった。
なぜって「ボクシングをした」という先輩がいるわけよ。
それは喩えとしてではないらしい。
ベッドの上で、文字通り殴ったのだと。
そして、相手の子供がテンプルをくらって悶絶するようすを面白おかしく真似ては笑うのだ。
けはははははっ。
理解のしようがないでしょーが。
翌日はゴルフに付き従った。
ゴルフ場に突くと、やはり中学生あたりの子供たちがキャディーの姿で群がってくる。
わたしを雇ってくれと。
学校はどうしたのかと。
また別のホテル。
ほとんど客のいないディスコで、たった三人でふざけて踊っていると、やたらノリのいい肥ったおばさんが身体を摺り寄せてきた。
鈍感な俺は、なにくそ負けるもんかと踊り狂ったのだが。
あとになって、それが夜のショーバイの交渉だったと先輩に知らされる。
こっちゃ腹減って、退屈で、踊るしかなかっただけだってのに。
無意味に煽っちまったようで。
また別の日、
移動中に立ち寄ったドライブインで、足止めをくらう。
いつのまにか男連中の姿だけが、消えている。
のこされたのは女性軍と、俺と、もうひとりのビンボー組。
このとき女性幹部が、やたらとからんできた。
「あなたたちは、なんで(他の男子社員と)一緒に行かないのぉ?」
「えらいねええ」
「ほんとは行きたかったんでしょ」
タイシルクのスーツをあつらえに別行動と、そう聞かされていたのを、真に受けていたのだ。
ビンボー組は先輩女子たちの子守りを、と。
待ちくたびれていると、いつのまにかビンボー組の相方が、地元の女の子たちに囲まれている。
えらい人気だ。
この時、名刺をあげたら、後日、英文の手紙と写真が会社へ送られて来た。
写真はその女の子の家族のもので、
手紙は、そのうち家族で遊びに行くから、そのときは世話してくれとのことだった。
それは、この国の狂奔の時代の、一側面であり。
狂態であり。
酔態でもあり。
して、欧米諸国もまた、それぞれに彼のリゾート国に下心を、
ひいては恥部を、あられもなく晒してもいて。
では、その当事者たちは、
つまりはタイの中からは、我々はどう見えていたのか。
あるいは、文化や貧富の摩擦がそこに何を生んでいたのか。
日々どんな営みを、どんな景色の中で、していたのか。
意外や意外、知る術は限られていて。
ナマな文化としてとなると、なおさらである。
念のために言っておくが、それらの格差についての説教ではない。
タメになる小説、なんてのは糞食らえである。
そんな読書は、はしたない。
ここには謎解きも、サスペンスもない。
どんでん返しすらね。
けれど、
ここにある風景と、人、もしくは情景というのは、小説を通してしか出会えないものであって、ましてや旅行して知れるものでもない。
そういう意味でも、小説の力ってものは馬鹿にならないなと。
極めて質の高い短編集だ。
☾☀闇生☆☽
ただし、
ラストの『闘鶏師』だけは、ちょっち長いかな。