準備は悲観的に、
して、
行動は楽観的に。
これ、たしか映画監督の伊丹十三が創作のこころがけとしていた言葉だ。
けれど、オリジナルは他のだれかだったはず。
きっといろんな人が言っている。
この、行動の前の下準備なり、推測なり、危険をまったく考慮しないのは、単にギャンブラーなだけだ。
けれど、可能な限りの予測と準備をしたあとなら、行動はもう、するしかないわけで。
なるようにしかならん、というのはその境地でこそ吐かれるのでしょう。
したらもう、前を向いて無心に。
んで、気付くのよ。
悲観とは、行動を楽観的に起こすためのため込みでなくてはならんと。
チョロQをぐいいと後ろへ引っ張る、あれですな。
どうせ悲観するなら、前向きの悲観にしなさいと。
またしても、自戒をこめて。
☾☀闇生☆☽