大いなる理想のためには、小さな殺人もゆるされる。
 して、その特権を握るのが、天才というもので。
 いわずもがな、この世は天才と凡人とにわかれており。
 もしもその悪が―、
 もしくは罪が―、
 この世の大多数を占める凡人たちの幸福に繋がるのならば、ゆるされるのではないか。
 いわば必要悪としてだ。
 そんな自問を続け、ひとり苦悩する若者がドストエフスキー作『罪と罰』の主人公であった。
 たとえば国の指導者や、革命家がそうではないか、と。
 私憤からの殺人ならば小悪人だ。
 んが、
 公憤からなら、それは戦争や革命と呼ばれ、彼は英雄と賞賛される。
 この純粋がゆえの青き尻っぺた。
 もの哀しき蒙古斑
 それを幕末の倒幕運動と、カルト化していった学生運動とに重ねて描いたのが、野田秀樹の芝居『贋作・罪と罰』なのであーる。


 主人公の英(はなぶさ)を松たか子
 才谷梅太郎古田新太をむかえた再演版の録画を、昨夜また観直した。
 当時、あたしゃ劇場にも足を運んだ。
 いまひとつ芝居としては不完全ではないのかと、えらそーに思いつつ、最後にはかならず泣かされてしまう。闇生のケツもまた、そんな青さが抜けずにいる。
 我ながらしょーもない。
 で、泣きつつ思ったのだ。
 この『大』のために『小』を見殺しにするという物言いは、原爆投下につけられた方便とも同じではないのかと。
 カート・ヴォネガットの代表作『タイタンの妖女』にも。
 ばかりか、
 いや、
 よしておこう。
 観客それぞれの頭の中に、それぞれにこだわる歴史の一幕がオーバーラップするのも、野田の狙いなのだろう。


 待て待て。
 今日はそんな答えの出ないテーマをのたくってやろうというのではないの。
 この『贋作・罪と罰』。
 劇場では、中央に据え置かれたステージを客席がぐるりと取り囲む趣向で。
 だもんだからセットや小道具を極力排除してあるのね。
 ほら、座席によって死角が生まれるから。
 そこで代わりに使うのは、昔の小学校で使ったような古い腰掛椅子だ。
 そいつを場面に応じて組んだり崩したりして配置しては、さまざまなものに見立てていくのである。
 たとえば、両手を背もたれに通して手錠に。
 積み上げて墓石に。
 それを横に連ねてバリケードに。
 逆さにかぶって、背もたれ越しに睨めば機動隊のヘルメットにと。
 目まぐるしく場面転換するなかでそれらをすべて本物らしく作り上げるのには限界がある。
 仮に作れたとしても、ヴァーチャルに慣れた観客の目が相手では、どうしたって無理があるのだし。
 ならばいっそこうして観客の想像力を使ってくれるほうが、よっぽど愉しいというわけよ。
 余談ながら、昨今のネタ番組
 コントで、ちゃちな書割や半端なセットを組んで済ましているのが目立つが、あれもどうだろう。
 どうだろうもこうだろうもなく。
 今や視聴者は海外の映画やドラマで目を肥やしてしまっている。
 綿密な画面の作りこみに出くわすなんてことは、日常茶飯事だ。
 となればだ、中途半端にシンボライズするくらいなら、いっそ無くしてしまってはどうだろうか。
 あれでは笑いへの集中力を殺いでいるようにも感じられるし。
 ひょっとすれば、ごまかしの役割もあるのかもしれぬが。
 特に、観客を入れたライヴでは、より簡素化したほうが情景や状況を引き立てると思う。


 何食わぬ顔で『贋作・罪と罰』にもどる。
 多くの効果音が、役者たちによって現場で奏でられていた。
 たとえば『引き戸』。
 ステージ上では突き立てた棒をその枠に見立てていて。
 手をそえて横へスライドさせることでその開閉を表現するのだが、同時にそこへ効果音も付けてしまう。ステージの下に控えた役者が、裏返したソロバンを、
「ずりりりり」
 と走らせるのだ。
 この、人体が奏でる『音』の遊びもまた、野田芝居の好むところで。
 なんでもワークショップでは、小さな火が炎となり、次第に勢いを増して炎上するまでを指パッチンなどの音を集合させて表現してみたこともあるという。
 そこから発する音まで含めて、とことん肉体で遊んでみせるのだ。
 考えるに、
 芝居というものを、今そこで起こっている事件として現出したいのだろう。
 違う時間、違う場所で録ってきた素材を混入するのは、出来るだけ避けたいという。


 というわけで、
 何を隠そうこの動画を紹介したくてここまで長々と書いてきたのだ。
 できるだけ静かな部屋で、耳を澄ませて見てくださいなと。
 振りだした雨が次第に勢いを増して…。
 さて、どうなりますか。
 効果音を流せばええじゃないか、とはあまりに味気ない。
 あらゆる『表現』というものは、突き詰めれば『人間』なのだ。
 直接、あるいは間接的に人間を表現し、感じるものなのだ。
 音も、
 声も、
 音楽も、
 突き詰めれば人間の筋肉が、
 して、その運動がつむぎ出している。
 音を通じて、そこに人間を感じている。
 たとえそれが打ち込みであってもね。
 おためしあれ。
 













 ともかく、
 天才にも凡人にも、雨はひとしく降りそそぐね。
 

 ☾☀闇生☆☽