風もなく、ただ降り続く雨の音というのが好きでね。
きっと休日という開放感がそうさせるのだろうけれど。
強まったり、
弱まったりして。
聞き耳をたてながら、うとうとと、つい寝坊してみたり。
なんせおカネがない。
なので、それを逆に利用したれと。リタイヤしたまま放置プレイかましていたDVDを掘り出してみた。
『エンジェルス・イン・アメリカ』というアメリカのドラマ(短期連続)がありまして。
何はさておきキャストが豪華だもんで。
アル・パチーノ、
メリル・ストリープ、
エマ・トンプソン、
メアリー=ルイーズ・パーカー、
でもって監督がマイク・ニコルズとなれば映画好きにはたまらない面々である。
あたくし的には、あれだ。
アメリカン・ニューシネマを好物としておるので、パチーノとメリル・ストリープの共演というだけで、まあ観ますわな。
ストーリーすらチェックせずに、観ますわ。
いや、チェックしようにも、パッケージにそれらしき説明が見当たらないのだが。
けれどゴールデングローブ賞を5部門も制覇しているというのだもの、少なくともはずしはしないだろうと。
ねえ。
そう思ってね。
以前、買っておいたのだ。
実は、
アル・パチーノがアクターズスタジオの番組に出演したときに、これの作中のシーンが紹介されて。
むろん番組は彼の特集の回だったので、その長台詞のシーンが数十秒だけ流されただけだった。
彼の役どころはロイ・コーン。
実在の著名人で、どうやら同性愛者らしい、ということだけはそれでわかった。
して案の定、檄した演説シーンの名手であるからして、さすがの迫力であった。
すげえわいと。
同時に、その、ともすれば大仰と片付けられてしまうパチーノの演技を、ドラマ世界にごく自然になじませた画面にも惹かれた。
まあ、
事前情報はそれくらいしか持たずに、その「すげえ」を頼りにあたったのだが。
これがまたひたすら重いのだわ。
うん。
舞台が、おそらくは九十年代の米国。
そして、テーマの中心にそのころ突然に人々を脅かしはじめたエイズの問題が、ふかぶかと横たわっていて。
当時のそれは、今以上に決定的な死病というイメージがあった。
NBAのスーパースター、マジック・ジョンソンのドラマチックな引退劇も、それが理由だった。
同時に、当時は特に同性愛の問題と密接に関係していて。
(トム・ハンクス、ディンゼル・ワシントン主演『フィラデルフィア』という傑作で、それはストレートに扱われたことがある)
エイズに対する偏見・差別はむろんのこと、人種の問題、宗教との関係、民主党・共和党の対立認識にもここでは触れられる。
とりわけモルモン教の熱心な妻帯者が、同性に惹かれる自分に目覚めていくくだりや。
その敬虔な信者である母親との確執。
そして、そんな夫とのセックスレスな生活が、妻を薬物依存にさせたり。
黒人蔑視の権力者がエイズに罹り、発病し、ホモセクシャルの黒人看護師に看病される皮肉や。
自分の恋人がエイズに罹ったと知って、捨てるか、看取るかの葛藤や。
それはそれは丹念に現代アメリカの諸問題を、エイズひとつでえぐりだしていくのであーる。
おそらくはこのテーマの重みへの緩和なのだろう。
エイズ発病者がその孤独と恐怖のなかにみる幻想と、セックスレスの薬物依存の人妻が見る幻覚とを、ことさらユーモラスに描いてはいる。
たとえるならフェリーニ風に。
シェークスピアと彼の台本のセリフだけは、忠実に従う。パチーノにそこまで言わせたトニー・クシュナーの構築した会話は、字幕で追うしか術がない自分がもどかしくなるほど、多面的で、魅力があった。
んが、
やっぱ、重いのね。
決して悪い意味で言っているのではないのだが。
特に、
エイズを発病して恋人に捨てられ、部屋の中で独り死を待とうとする男の苦悩が、ぐしぐし刺さるのよ。
たとえエイズや同性愛に共感がもてないとしても、孤独死という一点が、その恐怖への想像をいやが上にもかきたてるのだな。
全六話で、残すところあと一話。
あああ、
どうしよ。
観るときの気分を選ぶ作品なのであーる。
☾☀闇生☆☽
ぐしぐしっとな。