壁の言の葉

unlucky hero your key


 新型インフルエンザ騒動。
 その危険度は、通常のインフルエンザと変わらないのではないかとか、あるいは警戒するに越したことはないだろうとか、あっちゃこっちゃで議論されている。
 大変な騒ぎである。
 さて、どうなんでしょか。
 そもそも通常のインフルエンザの被害規模がどれほどのものだったのか、案外と知らないことをこの騒動のせいで知ることになったりして。(季節性のものでも年間死者約一万人、産経新聞など)
 飛ぶように売れているマスクの効果も、はてどんなものなのかと。
 いや、たとえ効果があったにせよ、きちんと有効な使い方をしている人が少ないとか。
 帰宅して、それを脱ぐとき、ウイルスの付着したであろうマスクの外側に触れてしまっては元も子もないのだと。
 そうですか。
 そこまで神経を使うならばだ、
 思うのだが、店頭の商品のパッケージの表面にだって、ウイルスなるものがはびこっているに違いない。
 惣菜のパックだとか、ポテチだとかの包装に。
 帰宅して、うがいと手洗いを入念にやったあと、さあ飯にしようと惣菜のパックを開ける。しかしそのラップの表面には新型のヤツがふてぶてしくも居ついているわけだ。
 ばかりか受け取ったつり銭の硬貨に。
 レシートに。
 レジ袋にも。
 頭髪や、スーツや、カバンにも、
 となると、それらも帰宅するやいなや洗浄しなければならんのだろうか。
 さてはあれか。新型はエボラやサリン級か。
 宇宙服さながらの防護服で、全身洗浄してから入室せにゃ防げんのかと。


 その驚異におびえるあまりに眠れなくなって、食欲をなくし、抵抗力を落として普通の風邪にやられて寝込んじゃったりして。

 
 ところで、この影響で学級閉鎖を食らった子供たちが外出してしまうのが問題になっていますなあ。
 インフルエンザにかかわらず、人の行動を閉ざそうとするプチ非常時というものは、昔から、わけもなくアクティヴにさせる何ごとかが作用しているらしい。
 台風上陸の非常時なんかでも、かならず居るのだ。
 よせばいいのに真夜中、近所の川の水位を確かめに行って、そのまま三途の川まで渡っちまった人だとか、ね。毎年、居る。
 空襲警報のさなか、ひとり居残って燃える街を肴に一杯やりはじめる文豪だとか。
 そういや、レンタルビデオ屋に勤めていたころ(VHS時代)、大雪の日は決まって大混雑したものだった。レンタルバッグもケースも出払っちゃって、そりゃあ大変な騒ぎさ。彼らが常連さんならわかるのだが、大概が初入会ときている。つまりビデオ鑑賞の習慣のないお方ばかり。
 そして、その騒ぎが終わると、とんと来なくなるのだ。
 だいたいが「じっとしてしていなさい」と言われるほど、わさわさしてくる性分なのだろう。あたしたちってば。
 そんな得体の知れない高揚は、かつて映画にまで取り上げられたくらいで(『台風クラブ』)。
 戒厳令下の子供たちは、そんなわけで案外、ときめいていたりするものではないかと思うのだな。現実に苛まれる大人たちをよそにね。


 隠れ家でのアンネはきっと楽しかったはずだ。
 とは、松本人志
 それは面白おかしい、という意味での楽しさではなくて『緊張と緩和』『制約と自由』というコントラストが、唯物的な世界の国境を押し退け、取って代わって、形而の上も下もいっしょくたに時間の濃度を密にしてかかるという。そんな世界に生きた、元子供としての感想だろう。


 そんな流れで『束縛と自由』という観点からエロDVD屋らしくSMなんぞを語ろうかとも思った。
 あるいは定型や韻という型を得ることで自由を得る詩や俳句につなげるのも一興かと。
 けれど、それではあまりにハナシがそれすぎて収拾がつかぬわい。
 いや、
 そんな収拾はつけんでいいのかもしれん。
 推して知るべし。


 にしてもだ、
 騒ぎすぎに注意、という『キャンペーン』自体が、どうにも騒々しいのではあるが。
 最低限、通常の常識的な衛生管理ぐらいは保ちつつのー「罹ったら罹ったまでのことよ」と子供心よろしく高をくくり、マスクのなかでほくそ笑むゆとりぐらいはもたねば、窮屈だぞ。
 んでね、
 その手の窮屈が、不衛生な自棄を呼び起こしているのでは、と思ったりもしている。







 ☾☀闇生☆☽


 ビデオ屋、で思い出せば。
 咳やくしゃみを店員の顔に向けてやらかす客人が多かった。
 手でガードすらしてくれないんだ。
 むろん故意にではないはず。
 さながらこちらを自販機と認識しているかのように、ぶっぱなすのだな。
 それが証拠にこちらの目を見て平然とやるもの。
 マスクの着用をめぐっては、国際的に、日本人は潔癖すぎるという声がある。
 けれどそのときの実感では、外国人の会員さんたち(渋谷ですからモデル事務所や外資系に勤める米国人、各国の大使館員が多かった)に、そんなぶっぱなしをされた記憶はない。