殊能将之著『ハサミ男講談社文庫 読了


 よくできている。


 だなんて不遜にも言ってみた。
 第十三回メフィスト賞受賞作だそうだ。
 加えて『このミステリがすごい!』の年間ベスト第九位の経歴。
 つまらないはずがないのだ。
 案の定、まんまとしてやられてしまったよ。


 ごちそうさまでした。


 けれど、あたくし闇生。このミステリというジャンルがいまひとつ夢中になれないのだな。
 これは軽いコンプレックスとしての告白である。
 なんせ敬愛する作家や映画監督はみなミステリ好きだ。
 なので、


 恥さらしとして述べる。


 というのも、たとえ文学であれ、映画・演劇であれ、多かれ少なかれまたは変形であれ、物語というものはどれもスタイルとして推理モノのそれを踏襲しているものなのであーる。
 もっといえば、テキストやスピーチや座談の名手も、無自覚であったとしてもそれの使い手である。
 よってそこが「それでそれで?」という引力を生んで、先へ先へと受け手を惹きつける。
 加えて作り手は、理数系的な脳みそでもって、役割やら力関係やら時系列を数式のように整然と操ってみせるわけであるから、そのお手並みを味わう愉しみは、至極高尚で、豊かな感受性に支えられるわけ。
 だもんで、正直あこがれると。
 そんな奴になりてえと。
 であるのに、夢中になれないというこのジレンマ。


 俺の不感症めっ。


 あのね、
 たとえば本格ミステリならば、星のように散りばめてきた布石を、ラストには怒涛のいきおいで回収をはじめますでしょ。
 言わば答え合わせね。
 謎を解決した探偵が、事件という数式と、真犯人という解答を提示して、証明の長演説をはじめる。
 布石のピースがパズルの穴に、ものの見事にすとんすとんと解決していく、そのカタルシス。
 そのうえでまた大どんでん返しがあったりしてね。
 ミステリ好きはきっとそこにドーパミンをどぴゅどぴゅさせているに違いない。
 けれどね、あたしゃ照れちゃうのだな。いつもこのくだりになると。
 そのトリックや小説手法の仕掛けが精緻で重層的なほど、照れちゃう。
 なぜといって、それまで登場人物たちを追っていたはずなのに、このくだりでは作者自身がご満悦な顔で語りだしてしまうのだ。登場人物の顔を借りて。
 どんなもんだいと。
 あの布石もこの布石も矛盾がないでしょ、と。
 仕掛けが完璧なほど、鼻白む。


 なんと性格の悪い読み方か。


 そもそもあたしゃネタバレおかまいなしの性分だ。
 ばかりか、オチを熟知している古典落語を繰り返し愉しむくちだ。だもんで、あたしの場合どぴゅどぴゅのポイントはそこだけではないのね。どーやら。
 音楽のように愉しみたいんだな。
 再読に耐える品質のカナメってのものは、数式のそとにある。
 いや、数式の美しさ自体に惚れ惚れするのもアリだけど。
 だからカナメの理想は、数式と持ちつ持たれつと。
 じゃあそれはなんなんだ、と言われるとぼんやりとしか分からない。
 つかめそうで、つかめない。
 しいて言えば、うま味のような。
 出汁(ダシ)のような。
 それは、
 文体そのものかもしれない。
 テンポの緩急かもしれない。
 ストーリーか、人物か。
 心理か。
 情景描写とその展開か。
 少なくとも、バブルの頃から流行っている情報量のひけらかしではない。
 とくればそれはもうミステリだなんてジャンルを超えているのかもしれない。
 あ。そうか。
 ジャンルというカテゴライズ。その閉塞感に居心地の悪さを感じているのかもしれないな。俺は。

 
 再度、云う。
 あたしゃ不感症というコンプレックスを曝している。


 最後に『悪』について。
 アメリカ映画の歴史に顕著だが、悪役の設定っていうのは大変なんでしょうね。
 かつてインディアンと蔑称された先住民から、悪徳保安官。
 マフィアやギャング、有色人種。
 ジャンキーから精神異常、トラウマを経て快楽殺人。
 巨大企業。
 独裁。
 共産圏。
 それらを一概には悪とは言えないとする相対化を通過して。
 テロリスト。
 宇宙人。
 自然災害。
 細菌。
 というように、酌量の余地なくとっちめることのできる悪さがしというのは、どうしたって行き詰る。
 で、アメコミに帰ったり。
 ま、アメリカだから、そうなるのかもしれない。
 そこいくと原理主義的風土にない日本はもっと複雑だ。
 よく言えばそこが新たなミステリを産む土壌なのだろうし。
 悪くすれば、それが足枷にもなっていると。






 ☾☀闇生☆☽


 なんせミステリですから、
 さすがにネタバレ感想は控えたという次第でございます。