自分のオフ日だが、寒空を仰ぎつつ出社した。
今のうちに年末年始用の釣り銭を準備しておくのである。
で、かく云うあたしは場末のエロDVD屋なのである。
いやはや、混雑してましたわ。
みずほ。
いつものことですがね。
年末で、しかも週末だから余計に集中しちゃっているらしく。
ATMも両替機も長蛇の列なのである。
とぐろ巻いてたよ。
うねうねと。
&
いらいらと。
自分の番がくるまでに一時間くらい費やしたもの。
おかげさまで、春樹訳の『ティファニーで朝食を』、熟読させていただきましたわ。
両替が有料になってから、もう何年が経つんでしょ。
改正時、マスコミはこれをほぼ黙殺したように記憶するのだが、どうすか。
知ってました?
一日に一度、50枚までの両替は無料。
けど、それを超えると、200円取られることを。
たとえば硬貨はすべて50枚ずつ棒状に束ねられていて。
10円玉ならそれが1本で500円。
100円玉なら、5,000円だ。
10円玉が2本分(1,000円)だけ欲しいのに、そこで200円も支払うのは、どうよ。
むろん大量にまとめて両替すれば、200円の手数料の鬱陶しさは、稀釈されるさ。
それはそうさ。
たとえば、湯船の中での小便はリアルにイタイ。んが、日本海の荒波にもまれながら漏らせば、どうってことないように。
なんならうんこでも、オッケーだ。
なにがオッケーかと。
その譬えは、大人としてどうなのだと。
なんならって、なんなんだと。
とにもかくにもこの改定、
特に商店街で地道な商いをしている個人店には、まったくもって、ちょこざいなルールなのであーる。
そんな、うんこをもみ消すほどの大量の準備金なんか、作ってられないのが実情だ。
両替機の使用には、その銀行のカードが要るわけで。
暗証番号の入力こそないが、それでもって1日に1回50枚無料というルールを厳守させているのだな。銀行は。
けれどそのために、自分のところの従業員たちに口座をつくらせて、そのカードを回収し、束にして両替機を占有する人なんかも出てくるものだから、やんなっちゃうのだ。
そうやってひとりで何回も使うの。
となれば、混雑して当然だろう。
ところが、それら商店を利用するお客さんたちは、この両替有料化の事実に疎いわけで。
だもんだから、平気なんだな。
ガム一個に万券(1万円札)を出したりするのだ。
来る客、来る客そんなんだと、いったい何十万円ぶんを用意しなければならんのか。商店は。
手桶でお湯を足しても足しても、あとからあとからうんこされるんだ。
両替機なんか、地元の商店しか使わないはず。
各支店を地元と密着させて、切磋琢磨でやっていこうという姿勢がね、銀行側にないのはどういう料簡か。
いくら両替商とはいえね。
やっぱ『利』にならんものは、人でもサービスでも切り棄てにされる世の中なのだろう。
なんてことを常々思っていたからなのか。
心ここにあらずのまま、両替機を操作した闇生なのである。
まずは、りそなで100円玉を1本。
作って、今度はみずほに立ち寄ってその列に並んでいた。
『ティファニー〜』を読み進めて、馬の暴走のあたりでふと思い出した。
りそなで1万円を使って100円玉を1本作った。
てことは、その1本のほかに5千円を受けとらなくてはならないのだが。
はて。
慌てて財布をあらためると、諭吉オンリー。
新渡戸が居ない。
釣り銭を受け取った形跡が無いではないか。
うそ〜ん。
やっちまった。
取り忘れちまった。
時すでに遅しだ。みずほの列に並んでからすでに数十分が経過している。
うんこだ、日本海だと妄想しているからだ。
たしかに包装硬貨が出てくる扉と同時に、なぜかお札の取り出し口も開いたように思う。
でも、扉の中には、何も見えなかったぞ。
けれど、手元に新渡戸稲造がないということは、お札はその壁面に貼りついていたのに違いなく。
すまん。稲造。
もうマギー司郎なんて呼ばんからな。
よし。
ここは潔く認めようではないか。一切は、己の不注意でござったと。
にしたって、この年末に5千円はでかい。
相当なうんこだ。
うんこの日本海だ。
もお、やけクソになっております。
でね、
それで今度はみずほの両替機だ。
小一時間ほど並んで、ようやく自分の番になったの。
すると機械は、前に使った人の画面のままで、なかなかスタンバイにならないではないか。
はやくしろー。
焦れつつ見ると、お札用の扉が開きっぱなし。
手を入れてみると、切れるような新札の万券が1枚。
なんとまあ、取り忘れである。
急ぎ行員に届けたが、忘れた当人の姿はすでになく。
行員は室内にケータイをかけて機械を一時中止にさせた。
ということは、利用時に挿入するカードをもとに、取り忘れの個人を特定できるのだろうか。
あたしも、あの時、届け出ていれば良かったのか。
稲造…。
それはそうと。
この取り忘れ。少なくないんじゃないのかな。
りそなの両替機は、操作を終えるとまずカードが返却される。
ついで包装硬貨とお札の扉が開く。
これらを受け取るとその扉が閉じ、ようやく端数である小銭用の扉が開くという流れだ。
だから、この最後の小銭はちょいちょい取り忘れがち。
なにゆえこんな時間差を設けるのか、あたしにゃわからない。
これらはすべて同時に開くべきではないのか。
で、全部が閉じて、終了と。
ちなみに、通帳の繰り越し機。
これにも時間差がある。
古い通帳を入れて繰越を終えると、まず新しい通帳が出てくる。
それを受け取ると、なぜか間があってから、古いのが戻ってくる。
これは、出口をもう一つ設けて、新旧を同時に出せば、取り忘れないだろうに。
で、両替機。
実はATMのそれも同じなのだが、問題はお札の受け取り口だと思うのだ。
あそこをパチンコ屋の両替機のようにはできんものだろうか。
現行だと、利用者はお札を上から縦に見ている。
諭吉も稲造も英世も、上空から見下ろしている。
まさに偉人を上から目線でやっつけているのだから、なげかわしいではないか。
となると、お札は線になるから見えにくくなってしまう。
他人を見くだすと、途端に邪念で目が曇り、洞察力が鈍るように。
だからこれをパチンコ屋の両替機のように、諭吉と正対するようにはならんものかと。
すれば、お札を面で認識するわけだから、取り忘れようもないわけで。
そうやって引き出す度に目を合わせていれば、稲造の『武士道』だって読みたくなるだろうし。
漱石にだって、もっと親しみがわいたはずだ。
んなわけないか。
☾☀闇生☆☽
追伸。
いやあ、近所のコンビニの女子バイト陣。
イヴから聖夜にかけて、ことごとくが休みを取ってましたね。
なんですか。
意地ですか。
珍しく、店長クラスのおっさんとベテラン女史が三役そろい踏みでした。
目を真っ赤に腫らして客をさばいてましたよ。
疲れた顔にあの赤い三角帽ってのは、なんとも痛々しいわけで。
おつかれっす。