壁の言の葉

unlucky hero your key

『ステロイド合衆国』感想。

 クリス・ベル監督作『ステロイド合衆国~スポーツ大国の副作用』松嶋×町山 未公開映画を観るTV DVDにて



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 DVD化が2008年。
 日本では2010年。
 ほぼ10年前のネタである。
 俗に「10年ひと昔」というが、状況はどれほど変化しているのだろうか。
 タイトルで語り切ってしまっている感のあるドキュメンタリーでございました。


 監督は三人兄弟の次男坊。
 一家そろっての肥満体。
 兄弟それぞれが子供の頃から『デブ』だの『チビ』だの『汗臭い』だのとあだ名されてコンプレックスを抱えていた。
 そこへ救世主のごとく現れたのがテレビのなかのプロレスのヒーローだ。
 とりわけ当時全盛を誇ったのがハルク・ホーガン
 彼の不屈の強さと筋肉美である。


 全米一のプロレス団体WWE。当時はまだWWFといっていた。
 そのトップ・スターがハルク・ホーガンで、彼はリアル・アメリカンと呼ばれ、ロッキー、ランボーのスタローンや、シュワルツェネッガーらと並ぶ全米の少年たちのあこがれの的であった。

 
 WWEのショーはキャラの善悪が明確だ。
 そしてその色分けの基準を当時の政治状況にかさねるのがパターン。
 米国がイランと揉めていたころは、悪役はイラン人の扮装で反則をくり返すアイアン・シーク。
 湾岸戦争イラク戦争のころにはやはり悪役は中東の扮装で、卑怯な手をつかうというながれ。
 星条旗を手に登場したホーガンが敵のだまし討ちにやられ絶体絶命におちいるが、観客の声援と不屈のアメリカン魂で息をふきかえして勝利するのがお決まりだった。
 そして勝利のおたけびとマッスル・ポージング、星条旗である。
 露骨なばかりの戦意発揚ショウだが、観客はそれがゆえに熱狂した。


 ホーガンのほかにも、林業の労働者階級を代表したハクソー・ジムドゥガンだのといった「頭は弱いが腕っぷしは強いぜ」キャラが善玉にすえられることが多い。
 これも国威発揚
 当時あたしも輸入ビデオでWWFを追っていたくちで、ランディ・サベージのファンだった。
 悪役はだいたいがケバイ女をマネージャーにした成金キャラだとかだった記憶がある。
 ミリオン・ダラー・マン、テッド・デビアスとかね。


 少年たちは確信するのだな。ああそうか。強くなればいいんだと。
 ホーガンみたいに筋肉もりもりになればいいんだと。
 テレビの前の子供たちに叫ぶホーガンの有名な決めセリフ。
 「トレーニングとビタミンと神への祈り!」
 それを続けてさえいればあんな身体になって強くなれる。みんなを見返すことができる、と信じて少年たちは日々プロレスごっこにはげみ、もりもり食べて育ってきた。
 が、当然ホーガンのようになれるわけではない。
 あのトゥマッチな肉体美は筋肉増強剤の効果であることが、のちに判明するのだ。


 プロレスだけではない。
 メジャー・リーガーも、オリンピック選手も、みんな使っている。
 ホーガンもその使用を認めた。
 本作の監督もステロイドを使って筋トレに励んでいたのだが、やがて疑問を抱いて断ったという。
 しかし兄と弟はそれぞれプロレスとウエイト・リフティングの夢のためにステロイドを打ちつづける。
 監督の映画製作の動機は、この家族の分岐点にあるのだろう。


 薬物に対して、世間では賛否両論ある。
 問題点となるひとつはその副作用についてであり。
 これはいまだにいろいろ言われてはいるが、健康を害するとされる科学的で決定的な証拠がいまだにない状況。
 むしろHIVなどにはある種の効果が見られたケースがあって、黒白をつけがたい。
 もうひとつは倫理的な観点。
 たとえばスポーツ選手がステロイドによって記録をのばす、というのはいかがなものかと。
 卑怯じゃないのかと。


 このあたりはドキュメントの鑑賞者が考え、それぞれに議論するところでしょう。
 監督はステロイド推奨派にも取材しているので、使用者と専門家の声に触れることもできる。
 ドーピングに関しては、黒白の境界線はほぼ意味がなくなりかけていて。高原でのトレーニングや低酸素室による赤血球増加は現行ルールでは違反にはならない。が、その効果を薬物投与で得たとなるとアウトになる。 
 そしてその判定もきわめて難しい。


 問題は、これら薬物が一般にひろまって定着していることにある。
 ドラッグ・ストアで普通に売られていて、誰でも手に入れることができるそーな。
 そして、製薬会社からの圧力があるのか検査基準があまりにぬるい。ために効果や安全性のあやしいものまでが市場に蔓延している*1
 実際、監督が見よう見まねでステロイドをかさ増しして製品化してみせている。
 しかも違法移民に手伝わせて。
 産業としても巨大だ。


 それも需要あっての供給なのであり。
 ではなにゆえアメリカ人はそこまで筋肉もりもりになりたがるのか。
 薬物投与は筋肉増加だけのためではない。
 たとえば音楽家が精神集中するためのものもあれば、戦闘機乗りが覚醒状態を維持するためのものもあって、後者は米軍が支給しているという。
 日常あたりまえのことになっているのだ。
 しかも、彼らはそれを断つことができないでいる。


 クラシックの演奏家が薬物で覚醒して演奏するというのも、どうなんだと思う。
 このドキュメントで初めて知った。
 芸術の場合、作曲者の負の感情や心情が作品となっている場合も少なくない。
 となれば、その作者の意図を汲み取るには、演奏家にも負の感情への共感が必要ではないかと思う。
 にもかかわらず演奏者が常に薬による高揚状態にあるとするならば、共感の感度に支障をきたすと思うのだが。
 いや、そんなセンチメンタルなことではなく、音符通りに音を出すマシーンに徹するのがプロなのだろうか。
 冷静さ、客観性はプロには不可欠だろうけれど。


 そうなると抗うつ剤などの認可されたものもふくめて肉体も精神も、薬なしではいられないということだ。
 負を補うためだけではなく、十分に足りているはずの物をさらに強化したがるのはなぜだろう。


 肉体と精神が薬漬け。
 身も心も薬によって高揚し、薬なしには維持できない。
 となればニュートラルな自分というものはいったいどこへ行ってしまうの?


 その昔『攻殻機動隊』では、精神の存在を問うた。
 義手や義足や人口心臓や義眼や…と、より強靭なスペアに肉体を交換して全身を義体化した先、人工知能に個人の記憶をデータとして移しかえることができたとしたなら、という譬えである。
 全部入れ替えたら、
 あれ? じゃ精神て、どこにあったの? という問題。
 精神て、何?


 お釈迦さまはブラフマンを輪廻するアートマンの存在を否定されましたな。


 ただし輪廻する霊魂としての精神は存在しなくとも、いまそこで考えている自分というものは確かにあるからこそ、説教されたわけであり。
 ……と考えている自分を存在の拠点にしないかぎり、人生やってらんないもので。
 その拠点の自分を、精神を、得体のしれない製薬会社の利潤のために売り渡してしまっていいのかと。


 どーなんでしょ。


 本編中、ステロイドを打たれまくって筋肉の化け物のようになってしまった巨大な牛が登場する。
 筋肉増加剤を打ったからってホーガンになれるわけでもバリー・ボンズになれるわけでもない。彼らはそのうえでトレーニングし、努力した。と推奨派は言う。
 むろん努力なしにはトップになれないだろう。
 彼らが努力をひとつもしなかったとは言わない。
 血のにじむような思いもしたでしょう。
 けれど、この牛をみるかぎり、少なくとも筋力に関しては、トレーニングや努力をした成果だとは思えない。


 この牛さん。
 バーベルあげたり、重いローラー引っ張ったりしたんでしょーか。


 というか、あたしたちが口にしている牛肉って、あんな筋肉のおばけではないにしろ、すでに薬漬けなんだろうなあ、と引いた。
 昔の和牛はマッサージしたり、クラシック音楽を聴かせて適度に運動させたりという、それはそれはのどかな飼育方法だったと伝え聞くが、いまはどうなんだろう。
 生命への冒瀆を感じてしまったよ。
 反捕鯨団体は、こういうのには抗議しなのでしょーか。


 鋼の錬金術師に出てくるキメラを連想してしまった。

 
 ドーピング問題について。
 すでにスポーツに、生身の人間の限界を競うという役割はなくなりつつあるのではないだろうか。
 視力や動体視力が要となるプロスポーツ選手がレーシック手術をうけることは、はたしてどう解釈したらいいのだろう。
 スポーツ用の義手、義足の性能も、日増しに向上している。
 いつの日か、生体と義体のその境界線を問うことになる。
 損傷したじん帯を人工のものに代えることができ、それで記録を達成したとしたなら、それは、どうなんだと。
 その問答自体が、意味をなくしていくのかもしれない。



 105分。

 ☾☀闇生★☽

*1:そんな米国をお手本にして比べ、日本は規制がきついという声がよくありますな。